100名城を巡る「金山城」
2024.09.28
2016.02.26
徳川家康には二人の正室、十五人の側室がいたと言われています。戦国の時代とはいえ、こんなにもたくさんの妻たちを、同じように大切に慈しんでくれたのでしょうか。
一説によると、徳川家康は妻たちを同じような立場として存在させたのではなく、それぞれに違った役目を持たせていたということなのですが、いったいどういうことなのでしょうか。
そして、それぞれどのような役目をいただいていたというのでしょうか。
参考文献『徳川家康辞典』(新人物往来社)
夫のために馬を走らせたという妻をご存知でしょうか。その妻の名は「お勝」。
お勝は関ケ原の合戦のとき、徳川家康の陣まで馬を走らせたというのです。
他の大名の妻たちと同様に、大阪で人質として留め置きされていたお勝。どうしても徳川家康の元へ行かなければと思ったようです。
本当に馬で行ったのか、それとも最初から同行したのかは、いろいろな意見があるので、確かではありませんが、関ヶ原の合戦に同行した姫ということは確かなようです。
では、なぜ、妻が夫の戦いの陣までお供したのでしょう。それは、お勝が大変聡明だったからなのだそうです。
徳川家康は賢い姫、お勝を自分の左腕として信頼していたということですよね。女性としてというよりも、同志という感じだったのでしょうか。
名前が変わった姫
さて、そのお勝は最初から「お勝」ではありませんでした。関ケ原の合戦で勝利したことを機に、徳川家康に「お勝」という名前を賜りました。
それまでは「お梶」という名だったのです。しかし、その「お梶」も徳川家康の側室になったときに与えられたもので、最初の名は「お八」という名だったのです。
そして 英勝院尼
このようにお勝は徳川家康にとても大切にされ、徳川家康の死後、出家し名を英勝院と改めました。そして20年後、先祖の供養と自分の後生を祈るために1639年11月、神奈川県鎌倉市扇ガ谷に仏殿を完成させました。それが東光山英勝寺です。
横須賀線に乗り、まもなく鎌倉駅という車窓から見える徳川家の御紋。そこにひっそりと佇んでいる、たおやかなお寺、英勝寺。
拝観料や御朱印をお願いする窓口には鬼?
その横には「つもりちがい10句」。心に浸みます。
かわいらしいお地蔵さまにご挨拶をして、奥に入ると祠堂や山門、唐門、鐘桜などの重要文化財が目に入ります。
そして、仏殿をぜひご覧くださいね。正面には小さな窓がありますので、そこをそっと開けてみてください。正面に本尊の阿弥陀三尊様の拝することができます。そして、天井には極彩色の鳥と天女。美しさに目を奪われてしまいます。
お勝は家康の優秀な参謀という役目をいただき、お側にお仕えしていたのかもしれません。それがお勝姫にとって幸せだったのかどうか。少なくとも英勝寺をみる限り、穏やかな気持ちで後生を過ごされたに違いないと思える、そんなお寺です。
JR横須賀線「鎌倉駅」徒歩15分
江ノ電「鎌倉駅」徒歩15分
鎌倉駅下車西口改札を出たらしばらく直進。
鎌倉市役所を左に見ながら四つ角を右に曲がり、JR横須賀線沿いに進むと
左側に見えてきます。
rico
教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。
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