信長・秀吉・家康と三英傑にゆかりのある「大徳寺」をご紹介
2024.07.30
2022.07.04
京都の代名詞のひとつでもある鴨川。
その鴨川にはいくつもの橋がかかっています。
その橋のひとつである『正面橋』を渡るときにみえる光景に、石田三成にまつわる悲しい歴史を感じる場所があります。
「石田三成が撤退を決めた「関ヶ原の戦い」決戦地」の記事はこちら
今回は、京都七条通りから正面橋に向かいました。
あまりこの道から鴨川に行くということはありませんが、あえて通ってみたのには訳があります。
それは、六条河原を確認するため。
正直なところ、あえて行きたいとは思わない場所ではあります。
さて京都七条通りは、東本願寺の飛地境内地である庭園、広大な渉成園がある開けた通り。
その渉成園を左手に見ながら進むと、ほどなくして、右手側に曲がると細い路地があります。
その路地をしばらく歩き土手町通を過ぎると、川のせせらぎが聞こえ始め、西木屋通に入ります。
するとそこには『たかせがわ』と記された小さな橋がかかっており、ここに流れている川が高瀬川です。
川幅の狭いこの川は、両脇の木々が美しく、京都らしい風情が感じられる素敵な場所です。
この高瀬橋を渡り、川沿いの木屋町通も通り越し、まっすぐに進んでいくと再度大きな橋が見えてきます。
この橋が『正面橋』です。
ところで、少し話は逸れますが、この橋の名前は『正面橋』。
京都にあるその他の橋は、『五条大橋』や『七条大橋』と京の街の名がついているのに、正面橋なんて不思議ですよね。
なぜ正面橋なのでしょうか。
それは、この橋の東の先にある寺が方広寺だからなのです。
豊臣秀吉が建立した大仏があった方広寺です。
その大仏の正面にある橋という意味で『正面橋』。
それだけ豊臣秀吉の力が強かったこと、そして人々に親しまれていたことがうかがえます。
そんな素敵な橋でもある『正面橋』の左手にある河原。
これが六条河原、石田三成が処刑された河原です。
正面橋の周辺には、昔から続く仏具屋さんが多いと聞いていましたが、確かにお数珠屋さんなど、仏具に関するお店がいくつもありました。
また、五条大橋とは雰囲気が違っていて、しっとりと静かな雰囲気の場所でした。
関ヶ原の戦いで、徳川家康軍の追手から逃れていた石田三成でしたが、6日間の逃亡生活から、親交のあった田中吉政の兵にみつけられてしまいました。
石田三成と田中吉政は、戦いでは敵となっていましたが、親交があったため吉政の兵も石田三成の顔を覚えていたのでしょう。
田中吉政はどのような想いで、石田三成を捕らえたのでしょうか。
石田三成の処刑された六条河原、そしてその討ち首をさらされた三条河原。
現在のこの場所には、その面影はなく、ゆったりとした時の流れを感じる風情ある場所となり、時は人の心を癒す安らぎの場所となっています。
時の流れは、その時々の『傷』を癒し、これからの未来に向かわせてくれるものなのかもしれませんね。
戦国の世だけではなく、いつの時代も、戦いは傷つけるものが多すぎますね。
いつの時代も日日是好日。どのようなことがあろうと繰り返す日常を大切にしたいものです。
渉成園までのアクセスは
JR京都駅下車 徒歩7分
地下鉄・五条駅下車 徒歩5分
市バス烏丸七条バス停下車 徒歩1分
渉成園より記事内の案内に沿って歩いてください。
rico
教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。
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