武将愛 SAMURAI HEART

どこにいた家康 Vol.20 犬居城

2023.05.28

この連載は、2023年の大河ドラマ『どうする家康』で舞台となった地を
後追い、あるいは先読みしながらご紹介していくものである。
なお、タイトルにちなんで、記載は年齢問わず「家康」で統一する。

徳川氏と武田氏の間で揺れ動いた「犬居城」

今回の史跡は、天野藤秀(ふじひで)の居城だった犬居城です。
天野氏はもともと今川氏についておりましたが、後に今川氏が弱体化、
これを機に徳川家康と武田信玄が今川領へ侵攻した際、徳川家康に従属します。
しかし、徳川氏と武田氏の境にいた天野藤秀は強かな立ち回りをみせたようで、
武田信玄の西上時には武田氏に接近、人質を出して従属したといわれております。

 

今川氏のカテゴリ一覧はこちら

<強い!武田信玄ゆかりの地はこちらから>
武田信玄ゆかりの地を巡る記事(前編)はこちら

武田信玄ゆかりの地を巡る記事(後編)はこちら

 

・犬居城 徳川家康を足止めしたという気田川と犬居城の遠望

・犬居城 城への入口付近はこんな感じです

少し登ると左手にある「竪堀(たてぼり)」…ですが、季節によってはこんな感じ

・犬居城 主郭方面へ向かう大手入口あたりの隣にある「曲輪」と空堀


・犬居城 三の曲輪への入口、空堀と土塁が素晴らしい「虎口」


・犬居城 馬出曲輪とも呼ばれる「三の曲輪」、現地案内板では東曲輪となっております

 

徳川家康が奪還を目指した、第一次「犬居城」の戦い

武田信玄が亡くなり、武田方の猛攻がおさまると徳川家康は失地回復を開始。
1574年に天方城を攻略した後、さらに北上し犬居城へ攻め寄せます。
しかし、悪天候で川を渡れず兵糧がつきそうになったためやむなく退却。
これを好機と見た天野藤秀は徳川軍を追撃、徳川家康は敗走する事態に陥りました。

 

・犬居城 三の曲輪から「二の曲輪」へ、写真は11月のものですが草であまり見えず

二の曲輪から本曲輪へ向かう右手下にある「腰曲輪」

・犬居城 長細い「本曲輪」と、写真中央上部にうっすら見える展望台がある「物見曲輪」

物見曲輪には、石積やら城跡碑らしきものがあります


なかなか年季の入った展望台を登ると、二俣城や浜松城がある南側を見渡せます

・犬居城 最大の見どころと言って過言ではない、西側の「大堀切」

こちらは大堀切から見上げる物見曲輪方面、その巨大さが伝わりますでしょうか

 

次回どうなる、『どうする家康』

武田信玄亡き後、楽になるどころかさらなる危機に陥った徳川家康。
武田勝頼の猛攻で犬居城などの奪還に失敗し、徳川家康は病に倒れる…
さらに岡崎にはびこる不満分子も現れ、築山殿と五徳の関係も悪化してゆくばかり。

今まで力攻めばかりのイメージで描かれていた武田勝頼でしたが、
今回の大河ドラマでは、は力攻め+策略を駆使する恐るべき武将として描かれております。
次回から舞台は長篠、そして設楽原へ。戦シーンがどのように描かれるのか楽しみですね。
そして、まさかの行動に出た築山殿の立ち回りにも注目したいと思います。

今回の史跡「犬居城」

犬居城
場所:静岡県浜松市天竜区春野町堀之内 字犬居

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新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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