武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2023年7月1日記事のため内容が古い可能性があります。

どこにいた家康 Vol.25 二俣城

2023.07.01

この連載は、2023年の大河ドラマ『どうする家康』で舞台となった地を
後追い、あるいは先読みしながらご紹介していくものである。
なお、タイトルにちなんで、記載は年齢問わず「家康」で統一する。

徳川家康にとって重要な城だった「二俣城」

今回の史跡は、今川氏の家臣だった二俣昌長が築城したといわれる「二俣城」。
西側に天竜川を配する難攻不落の城であり、遠江北側の要衝地でもあるこの地は、
徳川家康と武田信玄・武田勝頼の間で激しい争奪戦が行われておりました。

城内に井戸がなく、1572年に武田軍が襲来し徳川家康の家臣・中根正照が籠城した際は、
天竜川から水をくみ上げる井戸櫓というものをつくってやりくりしていたようです。
しかし、これに気付いた武田勝頼が天竜川上流から筏を流して井戸櫓を破壊し、
寡兵で耐えていた二俣城の徳川方でしたが水の手を失ったことで戦意を喪失。
二俣城を失った徳川家康は、この地域で武田信玄に主導権を奪われることになりました。

その後、1575年に長篠・設楽原の戦いに勝利した徳川家康は二俣城を取り返し、
重臣である大久保忠世を入城させて改修を命じ防備を盤石のものに。
現在、二俣城に残っている本丸の天守台をはじめとした石垣は、
1590年に浜松城主となった堀尾吉晴が築いたものだといわれております。

長篠・設楽原の戦いなど徳川家康のエピソードを写真とともに辿った記事はこちら

 

 

「二俣城」の見学ルート①

・まずは城跡の北東にある駐車場から、坂道手前には「城跡碑」もあります

・駐車場に近い搦手から道なりに進むと、右手には「堀切」があらわれます

・さらに先へ進み、左手にある旭ヶ丘神社が鎮座する「北曲輪」を先にチェック

・旭ヶ丘神社を戻り逆方向へ進み、入口である「喰違い虎口」から本丸跡へ

・本丸に突入、逆光だったため近づいてから野面積みの「天守台石垣」を撮影

・こちらは「天守台」から本丸方面の眺め、桜の時季に訪れた際に写真です

 

「二俣城」は松平信康が切腹をした地

徳川家康は、なぜ嫡男・松平信康と正室・築山殿をほぼ同時に失うということになったか。
かつては、織田信長の娘で松平信康の正室・徳姫が
・夫である松平信康は乱暴で夫婦仲が悪い
・母である築山殿は甲州の医師と密会、武田勝頼に通じている
以上のような内容の手紙を送り、織田信長が事実かどうか確認したうえで切腹を命じた
…という『三河物語』などに書かれた内容が広く知れ渡っていました。

しかし近年は、
・徳川家康と松平信康が不仲だったという説
・徳川家康の浜松派と松平信康の岡崎派による派閥闘争に巻き込まれた説
・武田氏との共存を目指す岡崎派のクーデター説
など様々な説があり、動機はともかく徳川家康が主導して行ったとみられ
織田信長が主導して切腹を命じたという説は下火になっております。

どの説により徳川家康が二人を失う事態となったのかは定かではありませんが、
結果的に松平信康は二俣城で切腹、築山殿は二俣城への移送途中で命を絶つこととなりました。

 

「二俣城」の見学ルート②

・下に降りて「天守台石垣」をぐるっと一周、写真は北側からの一枚

・天守台付近からは、西側を流れる天竜川の様子がうかがえます

・二の曲輪のある南方面へ進み、振り返って「本丸」をあらためて一枚

・ここから「二の曲輪」、春バージョンと秋バージョンの写真です

・二の曲輪東側にある「追手虎口」、ここの石垣も素晴らしい!

・二の曲輪南東側にある「土塁」、その下に見えるのが蔵屋敷

・最後は「蔵屋敷」へ、堀切と石垣をみて満足し戻りましたが、
この先にまだ堀切と南曲輪があったことに後から気づきました…

 

次回どうなる、『どうする家康』

「奪い合うのではなく与えあう」という瀬名の国づくり。
戦を終わらせるため賛同した徳川家康と松平信康の父子、
武田家の存亡を目指して賛同した千代と穴山信君、
父・武田信玄を超えるため拒んだ武田勝頼…
それぞれの「こうあるべき」が描かれた前回だったかと思います。

悲劇が描かれる今回、はたして瀬名と松平信康は徳川家康に何を残してゆくのでしょうか。
そして、処断を命じるだろう織田信長に対する感情をどう表現するのでしょうか。
瀬名と松平信康の最期、見たいような見たくないような複雑な気持ちで見届けたいと思います。


愛知県岡崎市・若宮八幡宮の松平信康首塚

今回の史跡「二俣城」

二俣城
場所:静岡県浜松市天竜区二俣町二俣990

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新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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