武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2016年2月27日記事のため内容が古い可能性があります。

城を巡る 其の一:岩村城

2016.02.27

日本の山城で最も高地である海抜717mに位置し、

岩村城は「日本三大山城」の一つとして有名。

織田信長の叔母・おつやの方(岩村殿)が当主を務めた時期もあり「女城主の城」とも呼ばれる。
また、霧が多く発生することから、「霧ヶ城」と呼ばれていた。

太鼓櫓
岩村城跡_01 太鼓櫓 04
資料館の前に復元された櫓。
時を知らせるための太鼓が置かれた場所で、庶民と殿様の絆を象徴する建物と言われています。

一之門
岩村城跡_04_4 一之門 01
最初の難関・初門の次に位置する門。
向かって左側には多門櫓跡、右側には石垣と土塁で固められていた。

畳橋跡
岩村城跡_05_1 大手門・三重櫓跡 03
畳のように床板をめくることができた橋がかかっていた場所。
奥には三重櫓跡があり、在りし日の姿はまさに難攻不落だったでしょう。

追手門
岩村城跡_05_1 大手門・三重櫓跡 07
畳橋が外されれば、待っているのはこの高石垣と前述の三重櫓。
枡形門で足が止まれば矢の餌食に…。

六段壁
岩村城跡_06_1 六段壁 11
岩村城跡_06_1 六段壁 05
三の丸にそびえ立つ六段の石垣。
元は最上部のみの高石垣であったが、崩落を防ぐため補強を繰り返し、現在の姿に。
遠目に見るのも素晴らしいですが、下から見上げると圧巻です。

東曲輪の石垣
岩村城跡_06_2 帯曲輪 03
ゆるやかにカーブを描く石垣。
この位置からは、前にこの景色、右を向けば六段壁が望めます。

長局埋門
岩村城跡_06_3 長局埋門 03
東口門。石垣の上には多門櫓があったようで、
まさに要塞といえる威容だったことが窺い知れます。

埋門
岩村城跡_07_2 埋門 05
本丸北側の出入口。
階段を登れば本丸へ、後方を振り返れば二之丸跡があります。

埋門石垣
岩村城跡_07_4 埋門石垣・扇の勾配 01
扇の勾配と呼ばれる曲線美。
野面積み・打込みハギ・切込みハギという3つの技法が駆使された石垣が見どころ。

岩村歴史資料館の近くにある「城下町ホットいわむら」や、
ここから北へ歩いて約10分の場所にある、織田信忠ゆかりの「大将陣」もおすすめです。

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岩村城について

標高 717m(本丸・最高所)

城囲い 1,255m(但し一の門内)

山回り 3,700m

縄張り 本丸・二の丸・出丸・東曲輪・八幡曲輪・帯曲輪・藩主邸等

石垣場所 31ケ所(1,700m)

矢の倉(櫓) 11ケ所(三重1,二重9,一重1)

多門 大小8ケ所

門 大小17ケ所

塀 43ケ所

狭間 680ケ所(矢・鉄砲狭間)

城内屋舗 10ケ所(藩主邸は別)

※岩村観光協会ホームページより

岩村城へのアクセス

☆ 公共交通機関で行く
明智鉄道恵那駅から岩村駅まで約20分
→徒歩で岩村歴史資料館まで約30分、追手門付近まで約20分

☆ 車で行く
恵那ICから南方向へ約30分

脚力に不安があり、運転が得意な方→山上にある出丸跡駐車場、
膝に爆弾を抱えていない方→岩村城資料館の駐車場がよいと思います。
ともに無料です。

住所:岐阜県恵那市岩村町城山

 

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新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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