愛知の城を巡る 山中城
2024.04.20
2017.10.13
桶狭間の戦いは、織田信長が兵力の差が圧倒的である今川義元軍の一瞬のスキをついて勝利したと言われています。
織田軍を勝利に導いた重要な場所として有名なのは、「釜ケ谷」と呼ばれるところです。
現在は大学の敷地内にあるため中には入れませんが、看板が建っているのですぐにわかると思います。
織田信長が桶狭間の戦いで一瞬のスキをつけたのは、善照寺砦から中島砦を経て、
この釜ケ谷で突撃のチャンスを待っていたと言われています。
突撃する日は雷雨で自分たちの足音に気づかれない絶好のタイミングでした。
この場所がちょうど桶狭間山を一気に攻めるのに適した場所だったようですが、現在はその面影はありません。
わかりやすく看板が建っています。
その昔は山が背面にあり、まさに「谷」だったという写真をガイドさんに以前見せていただきました。
織田信長軍が勝利し、この釜ケ谷あたりで勝どきも上げたそうです。
勝者がいれば敗者もいます。七ツ塚は敗者・今川軍ゆかりの史跡です。
釜ケ谷と七ツ塚はわりと近い場所ので、両方回ってみてはいかがでしょうか。
今川軍の戦死者をこの近辺の村人に葬るよう命じて引き揚げたという、織田信長。
村人たちは、七つの穴を掘って今川軍の戦死者を埋葬したと伝えられています。
桶狭間古戦場保存会のサイトによると、以下のように説明がありました。
最近まで残っていた塚の一つが、この七ツ塚として整備され、今も地元の方が供養、お守りしています。昔から地元では、この塚を取り崩したりすると「たたり」があると言われ、命を失った人もいると伝えられています。
ちなみに、今川、織田両軍の桶狭間の戦いでの戦死者は、約3,500名と言われており、古戦場まつりの万灯会では、3,500本のローソクを灯し供養します。
現在は民家の一部がその史跡となっていて、看板も建てられています。
住所:名古屋 市 緑 区 武路 町2808
(桜花学園大学の敷地外に看板あり)
<サイト>
http://okehazama.net/modules/sisekimeguri/02_kamagatani.html
住所:愛知県名古屋市緑区桶狭間北2丁目904
<サイト>
http://okehazama.net/modules/sisekimeguri/03_nanatuduka.html
北村美桂
岐阜県出身。東海三県の歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営を行うWebライター。
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