武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2020年2月28日記事のため内容が古い可能性があります。

城を巡る 日本三名城の巻:熊本城

2020.02.28

日本三名城とは

築城の名人と言われた、加藤清正もしくは藤堂高虎が普請した城。
選ばれる三城については、時代などにより諸説あるが、
この連載では大阪城・熊本城・名古屋城を三名城とする。

復興の歴史を刻む「熊本城」

別名:銀杏城。熊本県熊本市にある、梯郭式平山城。
1606年に加藤清正が完成させ、「熊本」と名付けたと言われている。
現在、地震による被害からの復旧が進んでいる。

百間石垣と二の丸御門跡

今回ご紹介する写真は、すべて2019年の1月に訪れた際のものです。
まずは北側から二の丸へと至る入り口、二の丸御門跡。

こちらは、二の丸御門跡の東側に広がる百間石垣。

戌亥櫓

二の丸御門跡を通過し、左に曲がると見えてくるのが戌亥櫓。
櫓下と南側、東側へ伸びる石垣の崩落はまだ手つかずの状態です。

空堀へ降りて見ると、戌亥櫓を支える隅石の凄さが良くわかりますね。

宇土櫓と天守群

左手に加藤神社、正面奥に頬当御門を見る位置から見た宇土櫓。
南側にあった続櫓は倒壊してしまいましたが、五階櫓は健在です。

こちらは天守群。最新技術の粋を集めた工法で、天守群を再建中。
2019年1月時点で大天守は外側が完成間近でした。

櫨方三階櫓跡

加藤神社の東側にある櫨方三階櫓跡の石垣を下から。
置かれているのは、修復用に一時保管されている石垣の石たち。

平櫓・北十八間櫓跡

1枚目は、北東側の入り口である不開門の西側にある平櫓。
2枚目は、崩落してしまった北十八間櫓があった付近の石垣です。

城郭南側

南側にある長塀通り。熊本城の見所の一つである長塀が現在復旧中。

南側の入口、山崎口にある馬具櫓。付近には清正公像もおわします。

未申櫓

様々なお店がひしめく城彩苑を抜け北へ向かうと、未申櫓が。
石垣の崩落がそのまま残った状態であり、北へ抜けるには少し迂回が必要です。

二の丸広場

少し西側へ行き二の丸駐車場を北に抜けると、二の丸広場へ帰還。
ここからは天守群と宇土櫓が見られ、撮影スポットの一つになっております。

本妙寺公園

城から少し離れた北西方面、本妙寺のさらに奥にある階段を登り本妙寺公園へ。
ここからは町並みと熊本城の全体を見渡すことができます。

階段を登った正面には、凛々しくそびえ立つ加藤清正像もあります。

4月29日より、特別見学通路も公開予定の熊本城。二様の石垣が見られます。
次回は、「尾張名古屋は城でもつ」、色々と話題の名古屋城をご紹介!

 

写真で攻める!大人気「城を巡る」その他のシリーズはこちらをクリック

 

熊本城へのアクセス

電車で行く:市電「熊本城・市役所前駅」より北へ徒歩約5分。
車 で行く:九州自動車道「益城熊本空港IC」より西方向へ約30分。
九州自動車道「北熊本スマートIC」より南方向へ約30分。

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新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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