100名城を巡る 小諸城
2024.02.27
2023.08.26
この連載は、2023年の大河ドラマ『どうする家康』で舞台となった地を
後追い、あるいは先読みしながらご紹介していくものである。
なお、タイトルにちなんで、記載は年齢問わず「家康」で統一する。
今回の史跡は、二度にわたる上田合戦の舞台となった「上田城」。
1583年に真田昌幸が築城開始、1585年頃に完成したといわれております。
本丸を囲んで西側・北側・東側に堀があり、その外側が二の丸となっている梯郭式平城で、
残る南側は千曲川を天然の要害とする鉄壁の守りとなっておりました。
往時には城内に7棟の櫓がありましたが、西櫓以外の櫓は明治時代初期に解体・売却。
城外へ移築されていた北櫓と南櫓が1949年に城内へ移築復元され、
1994年に復元された東虎口櫓門とともに、上田城のシンボルとなっております。
徳川氏との二度の戦いである「上田合戦」で落ちなかったことにあやかり、
現在本丸に鎮座する真田神社は合格祈願の神社としても有名だとか。
・東側の入口、「二の丸橋」から二の丸へ入ってゆきます
・二の丸を西へ進むと、「南櫓」「東虎口櫓門」「北門」が並ぶこの荘厳な姿が目前に
顔出しパネルの左には「空堀」あり、石垣の先は崖となっております
・東虎口櫓門の手前右手、石垣の中には巨大な「真田石」が
・東虎口櫓門を通過すると、正面には「真田神社」が見えてきます
・真田神社内にあり、城外につながっているという伝説が残る「真田井戸」
・真田神社の先にある2020年に建てられた青年期の「真田幸村(信繫)像」と
唯一上田城内に残り、建築当時の姿を残しているという現存の「西櫓」
・右から「南櫓」「東虎口櫓門」「北門」、本丸跡内からならば全体を見られます
・こちらは真田神社の北側にある「本丸跡」の様子
本丸跡は三方を本丸堀で囲まれており、立派な土塁もあります
真田昌幸は武田家に仕え、三方ヶ原の戦いや長篠・設楽原の戦いにも参加。
この頃の関係性はあまりわかっておりませんが、甲州征伐で武田家が滅ぶ前に
真田昌幸が徳川家康へ接触を図ったのではないか、というお話もあるようです。
徳川家康目線で 「三方ヶ原の戦い」から「長篠設楽原の戦い」「二俣城奪還」までの戦をおさらい
両者が深くかかわりを持つのは、武田氏の旧領を巡る「天正壬午の乱」の時。
この争いにおいて、真田昌幸は上杉氏→北条氏→徳川氏へ次々と鞍替えしながら
沼田城を獲得するなど、したたかな立ち回りを見せます。
しかし、徳川氏と北条氏が和睦を図る際、徳川家康が「沼田領を譲渡」という条件を出すと、
承服できない真田昌幸は再び上杉氏につき徳川家康と敵対することに。
真田昌幸からすれば、
自ら獲得した沼田領を勝手に手札とし、それに代わる地を提示しないとは何事だ!
徳川家康からすれば、
引き渡しを拒否するとはけしからん!兵を出して奪い取ってやる!
といった感じでしょうか。
そして1585年、徳川家康は鳥居元忠・大久保忠世らを派兵し上田城まで迫りますが、
この「第一次上田合戦」は真田昌幸の前に惨敗を喫する結果となってしまいます。
さらに、この後石川数正出奔という事態が起き、徳川家康は上田城攻めから完全撤退を決断。
侮っていた真田昌幸にしてやられた徳川家康は、この後本多忠勝の娘・小松姫と
真田昌幸の嫡男・真田信幸の婚姻をすすめて懐柔を模索することとなります。
・土塁に上がり、「本丸北東隅櫓跡」、「本丸北西隅櫓跡」を順にチェック
・南へ進み「西櫓」を下から見る位置へ、手前の芝生部は「二の丸櫓台跡」です
・二の丸跡へ出て、右手に本丸堀を見ながら北→東へ進みましょう
本丸跡の北東側にある、鬼門除けの「隅おとし」土塁は珍しいので要チェック
・本丸跡の東側に戻り、「南櫓」「櫓門」「北櫓」の内部を見学
・櫓をあとにし、過去に電車が走っていたという「二の丸堀跡」を通り尼ヶ淵方面へ
・最後は南側の崖下にある「尼ヶ淵」、かつてはここまで千曲川が流れていたそうです
ちなみに、こちら側の石垣は崖が崩れるのを防ぐために積まれたものだとか
榊原康政の檄文、本多忠勝の仁王立ち、井伊直政の赤備えなど
徳川家康家臣たちの見せ場が満載でしたが、岩崎城は登場せず…
三河中入りを目論む池田・森隊に後ろから襲い掛かるため、
豊臣方の監視をかいくぐり小牧山城の深い堀を進む徳川軍。
休息をとる池田・森隊のもとに「敵襲!」という展開でしたが、
1話で収めるため泣く泣くカット、となってしまったようです。
局地戦では徳川家康にやられましたが、お次は羽柴秀吉のターン。
ムロ氏演じる『どうする家康』のいやらしい羽柴秀吉が
どのように松本氏演じる徳川家康を追い詰めていくのか、
戦勝ムードの徳川家中で石川数正は何を思って出奔するのか。
あとは真田父子初登場、次回はこのあたりに注目ですね。
上田駅前にある「真田幸村騎馬像」
上田城
場所:長野県上田市二の丸2
新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
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