愛知の城を巡る 山中城
2024.04.20
2016.11.17
小牧・長久手の戦いというだけあって、犬山城は豊臣秀吉が、小牧山城は徳川家康が陣を張りました。
当時、家康が陣を張った時は廃城になっていたものを、陣城として改修をしました。
最近では信長が作った石垣が発掘され、三段目の石垣まで確認されているほど発掘調査にも注目が集まる小牧山城。
さっそく見てみましょう。
豊臣秀吉と徳川家康の直接対決「小牧長久手の戦い」を紐解く記事はこちら
写真は平成27年11月のもの。
もともとは織田信長が、美濃攻めのために4年間だけ使用したと言われている小牧山城。
そのため、仮の陣城としての役割だと思っていた、近年の発掘調査の結果、城郭を取り巻く三重の石垣が見つかりました。
そして城の南部の発掘調査では、小牧山築城によって移転してきた住民によって営まれた町割も。
一時的な戦いの城ではなく、清州城に代わる新たな拠点として築かれた城郭であることがわかってきています。
その発掘調査の様子は小牧市の「はっくつかわら版」にて掲載されています。
最新のかわら版によると、現在も発掘調査中でゴミなどが大量に見つかり、頭を悩ませていると書いてありました。
調査が進むにつれて、作業員を悩ませる厄介な問題が発生しています。調査区のほぼ全域で、昭和 30 年代頃のものと思われる、写真のような建築廃材のようなレンガやコンクリート片、プラスチックごみなどが大量に見つかったのです。
戦国時代の堀や土塁などを覆うように堆積したこれらを取り除きつつ、慎重に作業を行っています。
ゴミの処理などは本当に手間がかかりますよね。
これからどんなものが見つかるのか期待が止まりません。
この発掘でワクワクするのは、ただの間に合わせの陣城ではなく、安土のように天守をつくり、街を作ろうとしたかも知れな所。
立派な土塁。
上からの景色。
この傾斜も石垣に見えてきすよね。
間々観音の石碑が麓にあります。
住所も麓にはあって、ここは曲輪404。
下の方に行くと、無理に塀が増築されている部分など、家康の改修の跡が見られて楽しめます。
実際にはここで戦いはしていませんが、いかに備えをしっかり行ったかがわかります。
せっかくここで整えたのに、実際に戦ったのは長久手が中心になるとは、家康も肩透かしに合った気分だったかもしれません。
発掘調査の結果、家康の城から織田家の城として認知もされています。
豊臣秀吉と徳川家康の直接対決「小牧長久手の戦い」を紐解く記事はこちら
小牧・長久手の戦いだけでなく、織田信長の城作りも味わえるのでオススメの場所です。
北村美桂
岐阜県出身。東海三県の歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営を行うWebライター。
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