愛知の城を巡る 山中城
2024.04.20
2017.10.06
古戦場公園付近にある長福寺は、桶狭間の戦いの後、信長が境内で義元やその武将の首検証をしたと言われた場所があるお寺です。
また血の付いた刀を洗ったとされる「弁天池」もあり、桶狭間の戦いで敗者となった今川軍の末路を感じる史跡となっています。
公開はされていませんが、今川義元と松井宗信両公の木像も安置されていることでも有名です。
入り口から本堂までは少し歩きますが、駐車場がたくさんある広いお寺です。
境内は非常に広く立派な本堂。
そのすぐ目の前に「首検証跡」と書かれた看板と杉の木があります。
桶狭間古戦場保存会のサイトから引用すると、以下のように書かれています。
(首実検の時に)立ち会った茶坊主、林阿弥は主君義元や家臣の菩提を弔うため再び寺を訪れ、その時持参した阿弥陀如来が、現在も寺のご本尊として祀られています。
看板の情報では織田方に捕らえられた茶坊主が今川軍の林阿弥だったようです。
それで首実検に立会い、主君らの首かどうかを確認する仕事をしたとは・・・。想像すると辛すぎる仕事です。
この杉の木は供養のための杉だったようですが、伊勢湾台風の時に枯れてしまい現在は2代目なのだそう。
首実検をすると大体血の付いた刀を洗う池が近くにありますが、こちらのお寺にもあり、「弁天池」と言います。
祀られているのは弁財天様で、現在は蓮の花がたくさん浮かぶ大きな池です。
こちらは血のついた刀を洗ったと言われていますが、そんな面影は一切ありません。
5月の弁天池の様子。もう少し蓮の花が生き生きとしていて雰囲気が変わりますね。
看板によると「殺生が禁じられた池」なのだそう。
長福寺は水資源が豊富なようで、泉もあります。
この泉は一度も枯れたことがないほどで、桶が回るほど水が湧き出ることから「桶狭間」という地名となったようです。
桶狭間古戦場保存会のホームページにも書いてあったので、引用します。
寺から南の丘陵は、14世紀中ごろ南朝の落武者が住み着いた桶狭間村発祥の地であり、放生池に隣接する小さな泉は、村人の貴重な生活の水源でありました。この泉は、これまで一度も水が枯れたことがないと言われております。
長福寺は負けてしまった今川軍の最期を感じる史跡がある場所ですが、キレイに保存されています。
今川義元たちが大切にされていることを感じられるお寺です。
住所:愛知県名古屋市緑区有松町桶狭間寺前14
電話:052-622-7009
<電車>
名鉄名古屋本線有松駅 徒歩28分
名鉄名古屋本線有松駅より市バス鳴子13/有松12 有松町口無池行「桶狭間寺前」下車徒歩2分
緑巡回 藤田保健衛生大学病院行 「桶狭間寺前」下車徒歩2分
<サイト>
http://okehazama.net/modules/sisekimeguri/07_cyoufukuji.html
北村美桂
岐阜県出身。東海三県の歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営を行うWebライター。
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