続100名城を巡る 「赤木城」
2024.08.12
2022.05.12
京都八坂神社から清水寺に向かっていく道には、京都のシンボルのひとつでもある八坂の塔がみえます。
その道すがら見える八坂庚申堂は、カラフルな境内が目を引きます。
八坂庚申堂の『庚申』は干支からきていて、古代中国による年、日、方角を表す『かのえさる』のこと。
干支の組み合わせの57番目に当たります。
『庚申』の日の夜、人々の体内にいる『三尸(さんし)の虫』と呼ばれる3種類の虫が人間の体から抜け出して、その人のした悪いことを神様に告げ口をするといわれていた時代がありました。
そのため自分の体内から虫が出て、神様に告げ口をしないように、寝ないで徹夜をする守庚申という風習が発展していきました。
八坂庚申堂の本尊の青面金剛童子は、そんな三尸の虫を食べてしまうというありがたい神様。そのため八坂庚申堂では『庚申』の日には青面金剛童子を拝む『庚申信仰』が説かれました。
こちらは、八坂庚申堂のびんずるさん。
自分の治したいところをさすると、ご利益があるといわれています。
さてその青面金剛童子には使いがいました。
その使いが『猿』です。
八坂庚申堂では、三尸を封じる青面金剛童子と、そのお使いである三猿を合わせて『庚申さん』と呼ぶのだそうです。
奈良時代末期に伝わり、室町時代になると、僧侶により『庚申縁起』がつくられて仏教的になり、江戸時代には神道でも独自の庚申信仰が説かれるようになりました。
やがて庚申信仰は、三尸、日本独自の習俗、その他の信仰などが相まったことから、さらに盛んになっていったと考えられています。
ちなみに猿は自由気ままな様子が、人間の欲望に似ているとされ、境内にたくさん吊るされているカラフルな『くくり猿』は、猿の手足を縛ることで人間の欲望をコントロールするという意味があるのだそうです。
欲望をコントロールできれば願いが叶うということですね。
こちらがその『くくり猿』です。
こちらが庚申信仰で青色金剛童子の使いである八坂庚申堂の『三猿』。
右から『見ざる』『言わざる』『聞かざる』です。
日光東照宮の『三猿』があまりにも有名ですが、実は日光東照宮の『三猿』よりも歴史が古いものです。
徳川家康は庚申信仰に起源がある山王信仰に篤かったことから考えると、日光東照宮に三猿があるのも、納得できるものです。
京都府京都市東山区金園町390
拝観料:無料
拝観時間:9:00~17:00
JR「京都駅」より
市バス東山通北大路バスターミナル行き
「東山安井」下車徒歩6分
rico
教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。
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