徳川家康の側室「お万の方」とゆかりのある「蓮永寺」
2024.04.01
2023.01.25
静岡浅間神社は、徳川家康の元服が行われたところですが、徳川家康との縁は、それだけではありません。
訪れればきっと感じる『東海の日光』と呼ぶにふさわしい佇まい。その一部をご紹介します。
「徳川家康が元服式を行った静岡浅間神社|烏帽子親は今川義元公」の記事はこちら
静岡浅間神社は、これまでの記事でご紹介したように、「静岡浅間神社」という神社がひとつあるということではありません。
神部神社・浅間神社(二社同殿)、大歳御祖神社の三社を総称して、静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ、通称おせんげんさま)といわれています。
この三社は、神部神社・浅間神社が二社同殿。同じ建物の右側と左側に分かれているつくりになっています。すごくめずらしいですよね。
古い順からいうと、神部神社、大歳御祖神社、浅間神社の順になります。
一番古い神部神社は、第10代崇神天皇の時代の鎮座と伝えられています。
平安時代より駿河国の総社とされていることから、賎機山(しずはたやま)の麓にあり、駿河国を守ってきた神社は、神部神社と考えられます。
浅間神社は、901年に、富士山本宮浅間大社から総社神部神社の隣に勧請されたとあります。
901年といえば第60代醍醐天皇の時代に当たりますので、ずいぶんと後に勧請されたことになりますね。
大歳御祖神社は、第15代の応神天皇の時代の鎮座とされていることから、神部神社、浅間神社の間の時期とわかります。
総称して『静岡浅間神社』と呼ばれるので、調べる前は『浅間神社』が一番古いものと思っていました。
このようにとても古い時代から駿河国を守ってきた静岡浅間神社ですが、当時のものがそのまま修復されながら残っている、というわけではなく、現在の社殿群は、1804年から60年余の歳月をかけて再建されたものだそうです。
最初に焼失した社殿の再建が行われたのは1224年。その後1356年頃に、今川家によって造営が行われました。
1581年には、徳川家康が武田家攻略にあたって戦勝を祈願し、平治の後に必ず再建すべく祈誓をし、社殿を焼き払い、武田方の賤機山城を攻め滅ぼしましたが、1586年には、再び社殿が造営されことになりました。
このような経緯を経て、1635年に、徳川家光の命を受けて、日光東照宮や浅草寺などを手がけた幕府御用大工を幕府方の棟梁として、再び造営が行われたということです。
日光の三猿
日光東照宮
八千戈神社
舞殿
焼けることが多いと感じますが、その後安永と天明の両度にも、他の場所の出火により社殿にも延焼し、1804年から60年かけて現在の社殿群となったということです。
1684年に記された貝原益軒『吾妻路之記』には、「美麗なる大社なり。日本にて神社の美麗なる事、日光を第一とし、浅間を第二とすと云う」とあるそうです。
東海の日光と呼ばれるのは、ここからきているようですが、社殿を見渡せば一目瞭然。日光東照宮をはじめとする各地の『東照宮』と同様、圧巻の芸術がここにあるということがわかります。
私のおすすめは八千戈神社の彫刻。圧巻です!
楼門にある水飲みの龍
八千戈神社の鳳凰
八千戈神社の麒麟
※静岡浅間神社では、
静岡市は2023年1月27日(金)~2024年1月28日(日)の期間
静岡浅間神社の境内に「どうする家康 静岡 大河ドラマ館」を開館しています。
開館時間:9:00~18:00(最終入館17:30)
入館料:大人400円 小中高生200円
静岡市民は市民割適用で大人200円 小中高生 無料
静岡県静岡市葵区宮ケ崎町102-1
JR静岡駅前より
しずてつジャストラインバス
9番のりば
安倍線または美和大谷線
「赤鳥居 浅間神社入口」下車
拝観料:無料
rico
教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。
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