武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2019年8月9日記事のため内容が古い可能性があります。

武将像を巡る:豊臣秀吉

2019.08.09

豊臣秀吉

1534年、尾張国愛知郡中村郷にて生誕、出自については様々な説がある。
織田信長に仕えた後、機転を利かせた数々の行動によりスピード出世を果たし、
本能寺の変後は清洲会議を経て、信長の後継者としての地位を築いてゆく。
その後天下統一を果たし、太閤検地や刀狩りなどを行い国内平定をはかるも、
跡継ぎである秀頼の心配をしたまま、1598年にこの世を去る。
軍事・政策・「人たらし」と呼ばれた処世術など、あらゆる面で逸話の多い人物。

常泉寺

生誕地と言われている常泉寺。像の横には産湯の井戸もあります。
「豊太閤之像」というタイトルですので、55歳くらいのお姿でしょうか。
お隣の中村公園には、子供時代の「日吉丸となかまたち」という像もあります。

常泉寺
所在地:愛知県名古屋市中村区中村町木下屋敷47

墨俣一夜城址公園

数ある秀吉伝説の中でも、一夜城は最も有名なものじゃないかと思います。
美濃侵攻へ向けての重要な拠点づくり、これを成功させて秀吉は躍進。
伝説だとしても、「秀吉ならやりかねない」と思わせるのがすごいところ。

墨俣一夜城址公園
所在地:岐阜県大垣市墨俣町墨俣1742−1

長浜城

秀吉が長浜城主となったのは、羽柴姓となった翌年の37歳頃のこと。
数多の人材を発掘し、後のさらなる飛躍につなげた時期と言えるでしょう。
長浜駅から歩いて5分、現天守の北西にある天守閣跡におります。

長浜城
所在地:滋賀県長浜市公園町10

長浜駅

長浜城とは逆方向、長浜駅東口にある「秀吉公と三成公出逢いの像」。
秀吉の状態を見て気配りをした三成と、その気配りを意気に感じた秀吉。
「三献の茶」と言われる、二人の出会いを形にした像でございます。

長浜駅(東口)
所在地:滋賀県長浜市北船町2

大阪城公園

豊國神社にあるのは、陣頭指揮をしているような勇ましい秀吉公像。
賤ヶ岳の戦いで勝利し、大坂城築城を開始したのが1583年、秀吉47歳頃。
風貌から見ると、もう少し後年のお姿のように見受けられます。

大阪城公園(豊國神社)
所在地:大阪府大阪市中央区大阪城2−1

有馬温泉

有馬温泉は、秀吉がこよなく愛した地。
たびたび湯治に訪れるだけでなく、大規模な茶会もここで開きました。
好々爺のようで眼光は鋭く見える、私のイメージに一番近い秀吉像です。

少し離れた位置には、ねね像。秀吉と一緒にこの地を訪れていたとのこと。
有馬川を挟んで見つめ合っている、という構図のようです。

有馬温泉(湯けむり広場)
所在地:兵庫県神戸市北区有馬町(「太閤橋」交差点付近)

その他の像

静岡県浜松市の浜松元城町東照宮に、少年時代の像があります。
大阪府大阪市の玉造稲荷神社では、珍しい秀頼公像も見られます。

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新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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