名古屋城石垣の刻印を見に行こう! Vol.04 大天守 其の四
2025.03.29
2017.10.04
名古屋市緑区にある「桶狭間古戦場公園」は、立派な織田信長と今川義元の銅像が並ぶキレイな公園です。
桶狭間史跡巡りの折には、必ず訪問する有名スポット。
そんな「桶狭間古戦場公園」には今川義元のお墓と、渾身の桶狭間の戦いがリアルジオラマでわかるという仕掛けが見どころです!
もはやシンボル的存在の信長像と義元像。公園のど真ん中にあるのですぐわかります。
そして不思議な池と石のオブジェ的なものはなんと桶狭間合戦の砦と川を表した、体感型のジオラマ。
説明はこちらにありました。
信長進軍ルート、義元進軍ルート、そして大高城に兵糧を運び入れた家康ルートを体感できるようです。
公園内に「桶狭間の戦い」の概要が説明された看板があるので、初めての方でも安心です。
ただの公園ではなく、ジオラマという仕掛けがしてあるあたりが面白いですよね。
それぞれ石の台には砦名など陣を表しています。こちらは今川軍の松井宗信が陣を張った高根山と井伊直虎のお父さん、井伊直盛が陣を張った巻山。
松井宗信が陣を張った高根山(有松神社)と井伊直虎の父が陣を張った巻山の記事はこちら
こちらは信長進軍ルートで矢印を引っ張ってみました。
正面奇襲説の場合、善照寺砦跡から中島砦に動き、そのまま桶狭間山へ突っ込むという形になりますね。
桶狭間山はかなり大きく作られております。
織田信長が善照寺砦に到着したことを確認し、千秋四郎と今川義元軍が陣を張る高根山と巻山を攻める佐々成政の兄である佐々政次も表せます。
ジオラマを見ながら、どう動いたのか進軍ルート通りに歩いてみるとすごく面白いですよ。
公園内には今川義元のお墓もありました。
名古屋市の桶狭間古戦場保存会さんのホームページより説明を引用します。
田楽坪のねず塚から出土した「駿公墓碣」と刻まれた墓碑です。苔むしていますがその建立年は不明です。また、隣接して昭和8年に建立された墓碑もあります。「駿公墓碣」の「駿」とは、すぐれた又は秀でたの意味し、駿公とは駿河の国(現在の静岡県)のすぐれたりっぱな人との意味です。墓碣とは頭部が丸い形状をした墓石で、方形をした物は墓碑と言います。
看板にもその説明が書いてあります。
桶狭間史跡めぐりがしやすい地図と史跡が紹介されたパンフレットは、無料でいただけます。
「桶狭間古戦場公園」はかなり盛りだくさんの情報が詰め込まれているので、どこへ行ったら良いかよくわからないという方はこちらの公園から立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
ジオラマはかなりオススメです
ガイドさんと一緒に回りたい場合は、下記保存会に回りたい日の1週間前までに予約が必要です。
ガイドさん1名につき、1000円のガイド料がかかるなど諸注意事項はチェックしたいですね。
http://okehazama.net/modules/guide/content0011.html
住所:愛知県名古屋市緑区桶狭間北3丁目1001
電話:052-625-4940
<アクセス>
名鉄名古屋本線有松駅より 徒歩25分
もしくは
有松駅より 市バス有松町口無池行、緑巡回バス藤田保健衛生大学病院行きなど「幕山」下車徒歩3分
<サイト>
桶狭間の戦い – 桶狭間古戦場保存会
北村美桂
岐阜県出身。東海三県の歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営を行うWebライター。
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