武将愛 SAMURAI HEART

地名も残っている!三方ヶ原の戦いの逸話を味わう「小豆餅」と「銭取」

2019.05.15

小豆餅と銭取というインパクトのあるお菓子をご紹介いたします。
これは浜松の御菓子司あおいさんの商品で、そのエピソードが面白い商品です。

そのエピソードとは、三方ヶ原の戦いで武田軍に大敗したときのこと。
命からがら浜松城へ戻る家康が峠の茶屋で休憩中、武田軍の追手を発見。とっさに逃げ出し思わず無銭飲食をした家康を、老婆がおいかけてきたという逸話です。

実際に浜松には小豆餅と銭取という地名があり、この付近には昭和39年まで奥山線という路線が走っていて駅名にもなっていたそうです。

三方ヶ原の戦いとは

元亀3年1(1573)に、三方ヶ原にて起こった武田信玄と徳川家康・織田信長連合軍の戦いです。
三方ヶ原の戦いは、家康三大危機のひとつでもあります。
桶狭間の戦いで今川義元の亡き後、織田信長と同名を結んで独立した徳川家康。

しかし足利義昭による信長包囲網に参加するために上洛しようとしてる武田軍を、迎え撃つべく行われた合戦です。
迎え撃つのは基本的には三河の徳川家康軍で、織田軍からの援軍を含めても約3万の武田軍の軍勢には及ばない状況。

浜松城を落とすことが武田軍の目的と考え、籠城戦の準備を進めていた家康。
一言坂の戦いでは家康軍が敗走、二俣城の戦いでは城を明け渡すことになるなど、順調に武田軍が勝ち進み浜松城へ進軍を始めると誰もが思いました。

しかし、武田軍はどういうわけか浜松城を素通りし、堀江城を標的とするような進軍をします。
自分を見くびられた!と思ったのか、不意をつかれた行動に焦ったのか、家康が城を出て追撃します。

これが武田軍の狙いでした。

野戦に持ち込み、あっという間に家康軍が大敗し、家康が命からがら敗走することとなります。
道中、家臣が家康の身代わりとなり戦死するなど、これこそ絶対絶命の危機でした。

この敗走途中にお腹が空いてたまらない家康は茶屋で小豆餅を食べていたところ、武田軍の追手を発見し、お金を払うのも忘れて逃走します。
それを追いかける店の老婆。殿様を追いかける老婆の存在ですが、身分の差を考えるとありえない気もしますね。
また、小豆餅や銭取までは約2キロと老婆の体力から考えると、どうなんでしょうと言う感じです。

しかし地名としてもそのエピソードが残り、今でもそれが受け継がれてお菓子があるというのが面白いなと思います。
昭和39年まであった小豆餅駅、銭取駅は珍駅名としても認知されたそうです。

エピーソードと味わう小豆餅

今も販売しているのが御菓子司 あおいさんの小豆餅。このエピソードが元になって作られています。

北海道産の小豆、遠州のもろこを使った食感も楽しめるお菓子です。

また老婆が家康を追いかけたというエピソードから、銭取というお菓子も。

こちらはマドレーヌ。しっとりとした食感で懐かしい味わいです。
プリントされているイラストがとてもほっこりしますね。

このエピソードと一緒に、小豆餅と銭取を味わってみてはいかがでしょうか。
通販もあります。

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北村美桂

岐阜県出身。東海三県の歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営を行うWebライター。

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