続100名城を巡る「滝山城」
2024.11.28
2023.09.23
この連載は、2023年の大河ドラマ『どうする家康』で舞台となった地を
後追い、あるいは先読みしながらご紹介していくものである。
なお、タイトルにちなんで、記載は年齢問わず「家康」で統一する。
今回の史跡は、北条氏と栄華をともにした「小田原城」。
15世紀中頃に大森氏が築城したのがはじまりだといわれております。
1494年に長享の乱が起こり、扇谷家の上杉定正が伊勢宗瑞に援軍を依頼すると、
これを機に関東進出してきた伊勢宗瑞が翌年に小田原城を奪取。
伊勢宗瑞の跡を継いだ二代・氏綱が名字を伊勢氏から北条氏に変更した後、
五代・氏直の代まで居城としたことから「北条五代」の城とも呼ばれています。
現在「小田原城址公園」として整備されている主郭部周辺は、
1960年に復興天守、その後も常盤木門・銅門・馬出門が次々と再建され、
御用米曲輪(ごようまいくるわ)などの整備も進んでいるそうです。
天守のある「小田原城址公園」と合わせて押さえておきたいのが、
小田原城を中心に町全体を土塁と空堀で取り囲んだ「総構(そうがまえ)」の跡。
総延長9kmともいわれる圧巻の土塁・空堀が北側から西側にかけて残っているため、
レンタサイクルなどを利用しての「総構」巡りもおススメです。
<小田原城をご紹介したその他の記事はこちら>
・小田原駅東口から出て、お堀端通りを南へ
二つ目の橋あたりから、まずは堀越しに「二の丸隅櫓」と「馬出門」を見学
・馬出門から馬屋曲輪へ進み、「銅門」と「銅門枡形内仕切門」からさらに内部へ
・銅門を通過し北西に進むと、現在菖蒲園となっている広大な「本丸東堀跡」があります
・本丸東堀跡にかかる橋を渡り、階段の先に見える「常盤木門」へ行きましょう
・常盤木門の先は本丸広場、往時の姿と少し違うといえど立派な「復興天守」が目前に
おまけで、天守台石垣の上で休憩する猫の様子も一枚
・最上階からは、豊臣秀吉が築いた「石垣山城」方面も見渡せます
「石垣山城跡」をご紹介した記事はこちら
(リンク先の中盤にてご覧いただけます)
・南西側にある「こども遊園地」あたりからも天守を撮影
・こども遊園地と二ノ宮尊徳を祀る報徳二宮神社の間にある「小峰曲輪北堀」
往時はもっと深く、障子堀であったと考えられているそうです
忍城など抵抗を続ける城もあったものの、豊臣軍は北条方の支城を次々と攻略。
北条氏と同盟関係だった伊達政宗も豊臣秀吉のもとへ参陣するなど、
小田原城に籠る北条氏を取り巻く環境は、時を経るほど悪化してゆきます。
小田原城を包囲した豊臣秀吉は、力押しをせず開城するようたびたび勧告。
徳川家康も、娘婿である北条氏直と和平交渉を担当していたようです。
降伏か抗戦か、一向に結論が出ない会議を続けていた北条陣営でしたが、
石垣山に完成した総石垣の城を見て戦意消失、降伏へ気持ちが傾いたといわれております。
小田原攻めで活躍した徳川家康は、開城前か後かは定かではありませんが、
豊臣秀吉から北条氏の旧領を含む関八州への移封を命じられることに。
この徳川家康の「関東移封」については、
・約120万石から約250万石に加増するという「優遇策」
・三河から遠ざけ、長年北条氏が治めていた地へ送り込むという「冷遇策」
という二つの見方があります。
豊臣秀吉の思惑はともかく、この関東移封は徳川家康が力を蓄える機会となり、
後に徳川の世がつくられるきっかけとなったといえるでしょう。
・ここからは、総構を巡ってゆきます
まずは、城跡公園から北に1kmほどの距離にある「総構城下張出」の堀跡へ
・600mほど南西方面に進み、お次は「総構山ノ神堀切」を見学
・3つある「小峰御鐘ノ台大堀切」のひとつ、東堀の北端あたり
城跡公園から西に1kmほどの距離にあります
・同じく「小峰御鐘ノ台大堀切」の東堀、こちらは南側から
総構を周るのはきついという方、ひとまずここをおさえましょう
・小峰御鐘ノ台大堀切東堀の南側には、「三の丸外郭新堀土塁」が
総構の西端内側にあり、ここから豊臣秀吉がいた石垣山城が望めます
・こちらは、総構東側の遺構である「蓮上院土塁」
往時は東側に水堀があり、対岸だったあたりには「徳川家康陣跡」があります
小田原攻め先鋒の「徳川家康陣陣地跡」をご紹介した記事はこちら
注目だった、徳川家康と豊臣秀吉の対面。
徳川家康が陣羽織を所望するシーンなど、なんとなく和やかなムードでした。
しかし、その後垣間見えた豊臣秀吉の姿はまさに「欲望の怪物」、
母・大政所や弟・豊臣秀長でさえ恐怖を感じているような描写がありましたね。
これから描かれてゆく豊臣秀吉と茶々の関係性、
初対面で意気投合していた徳川家康と石田三成の関係性も気になるところです。
二回にわたって小田原攻め関連の城を取り上げましたが、登場はまだ先かもしれません。
小田原駅西口にある「北条早雲像」
小田原城
場所:神奈川県小田原市城内6−1
新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
関東地方の記事
徳川家康の記事
この記事の後によく読まれているおすすめ記事
バックナンバー記事
この記事へのコメントや情報提供をお待ちしています