三河岡崎城主・松平広忠と於大(尾張 緒川城主・水野忠政の娘)が婚姻する。
12月26日、松平広忠の嫡男として三河岡崎城にて誕生する(幼名、竹千代)。
父広忠、母於大を離縁する。
9月、父広忠が織田軍に降伏する。
織田家の人質となり、尾張に送られる。
11月上旬、今川軍が三河安城城を
攻略。城将の織田信広を捕虜にする。
11月8日、織田方と今川方の
人質交換により、駿河に送られる。
竹千代、三河吉田の
安久美神戸神明社に参詣する。
3月、竹千代元服。
今川義元から一字を与えられ
「松平次郎三郎元信」と名乗る。
今川家一族、関口氏純の娘・
瀬名姫(築山殿)と婚姻する。
2月5日、今川義元の命で
三河寺部城を攻めで初陣を飾る。
7月以降
実名を「元康」と改める。
3月6日、長男・竹千代(後の
松平信康)が駿府で誕生する。
5月12日、今川義元の尾張攻めに
従い駿府を出陣する。
5月18日、尾張大高城に
兵糧入れを果たす。
織田軍の丸根砦を攻め落とす。
5月19日、尾張桶狭間で今川義元が
織田信長軍に討たれる(桶狭間の戦い)。
義元戦死を受け、大高城から退却。
岡崎へ向かう。
5月20日、三河大樹寺に入る。
5月23日、10年ぶりに
三河岡崎城に帰城する。
6月以降、父の菩提を弔うため寺を
建立する。
2月、伯父の水野信元の仲介で織田信長と同盟を結ぶ。
9月、三河藤波畷の戦いで東条城主・吉良義昭軍に勝利する。
2月、三河上ノ郷城を攻め、城主鵜殿氏の子息を人質にする。
春、今川家と人質交換を行い正室の瀬名姫(築山殿)、嫡男竹千代を取り戻す。
祖父清康、叔母の菩提のため随念寺を建立する。
7月、実名を元康から「家康」に改める。
12月、三河一向一揆が蜂起する。
2月、三河一向一揆と和睦する。
6月、今川軍に包囲された三河一宮砦を救援する。
3月、三河吉田城、田原城を攻略し、東三河支配を進める。
2月12日、開運祈願のため菅生神社の社殿を再建する。
春、開運祈願のため上野国・新田より新田神社を岡崎城内に勧請する。
5月、三河牛久保城の牧野氏が帰順し、三河国を統一する。
12月29日、従五位下三河守に叙任される。
叙任を祝い伊賀八幡宮の社殿を造営する。
正月、名字を「徳川」に改姓する。
5月、嫡男・信康と織田信長の娘・
五徳が婚姻する。
12月15日、武田信玄軍の駿河国
侵攻を受け、遠江国へ侵攻する。
6月、遠江浜松城を築く(9月に入城)。
6月28日、織田信長に従い、
朝倉・浅井連合軍と戦い、勝利する(姉川の戦い)。
11月30日、武田信玄軍により
遠江二俣城が攻略される。
12月22日、遠江三方ヶ原において
武田信玄軍に敗れる
(三方ヶ原の戦い) 。
4月12日、武田信玄死去。
武田軍が徳川領内から撤退する。
2月、二男於義伊(後の結城秀康)が
誕生する。
6月17日、武田勝頼軍により
遠江高天神城が攻略される。
4月末、武田勝頼軍が三河吉田城を攻撃。
吉田城で籠城する。
5月11日、武田勝頼軍が三河長篠城を攻囲する。
5月18日、織田信長・徳川家康軍が三河設楽原に着陣。
5月21日、信長とともに設楽原で武田勝頼軍と戦い、勝利する(長篠・設楽原の戦い) 。
4月7日、三男長丸(後の二代将軍徳川秀忠)が誕生する。
8月4日、嫡男信康を三河大浜に追放する。
8月29日、正妻・築山殿の殺害する。
9月15日、長男・信康を切腹させる。
3月11日、武田攻めの功績により織田信長より駿河国を拝領する。
5月15日、駿河国拝領の御礼のため、近江安土城へ参上する。
6月 2日、織田信長が明智光秀の謀反により本能寺で自害(本能寺の変)。
本能寺の変を受け、伊賀山中から伊勢、三河へ向かう(伊賀越え)。
6月4日、三河大浜から岡崎へ帰還する。
6月12日、羽柴秀吉軍が明智光秀軍を破る(山崎の戦い)。
7月3日、遠江浜松城を出陣し甲斐国へ侵攻する。
3月28日、尾張小牧山城に修築し羽柴秀吉軍と対峙する。(小牧・長久手の戦い)
4月7日、小牧山城を出撃する。
4月9日、尾張長久手で秀吉方の池田恒興・森長可軍に勝利する。
6月22日、秀吉軍に占拠された尾張蟹江城を奪還する。
11月12日、織田信雄が羽柴秀吉と単独講和。それを受け家康も秀吉と講和し帰国する。
7月11日、秀吉が従一位関白に叙任される。朝廷より豊臣姓を賜る。
11月13日、重臣の石川数正が秀吉のもとに出奔する。
11月29日、天正大地震が起こる。 秀吉、家康征伐を中止。
1月27日、豊臣秀吉と和睦する。
5月14日、秀吉の妹・朝日(旭)姫と
婚姻する。
10月27日、摂津大坂城で
秀吉に臣従を誓う。
2月10日、豊臣軍の小田原攻めに従い、駿河駿府城を出陣する(小田原合戦)。
7月13日、豊臣秀吉から関東へ転封を命じられる。
8月1日、 武蔵江戸城に入城する。
3月、豊臣秀吉の朝鮮出兵に伴い、
肥前名護屋城に到着する
(~翌年8月まで在陣)。
8月上旬、秀吉の求めにより、
五大老に加わる。
8月17日、山城伏見城にて豊臣秀吉が死去する。
閏3月3日、加藤清正ら七武将が
石田三成を襲撃する。
三成を保護し、両者を仲裁する。
9月26日、摂津大坂城
西の丸に入る。
6月18日、会津上杉討伐のため、山城伏見城を出陣する。
6月20日、伊勢白子湊から三河吉田湊に入る
8月23日、家康方の先手軍が美濃岐阜城を攻略する。
9月1日、武蔵江戸城を出陣する。
9月11日、尾張清須城に入城する。
9月15日、家康率いる東軍が美濃関ヶ原にて石田三成率いる西軍を打ち破る(関ヶ原の戦い)。
9月27日、摂津大坂城に入城し、豊臣秀頼に拝謁する。
正月、江戸から京までの東海道を伝馬制を整え、宿駅を定める。
3月23日、山城伏見城に入城し城の再建に着手する。
8月28日、生母於大が山城 伏見城で死去する。
2月12日、従一位征夷大将軍に叙任される。
7月28日、豊臣秀頼のもとに孫娘の千姫が輿入れさせる。
4月16日、征夷大将軍を辞す。
嫡男秀忠が征夷大将軍に叙任される。
以降、家康は「大御所」と称される。
2月、天下普請で駿河駿府城を
大改修を開始する。
3月5日、四男の松平忠吉が死去する。
4月、九男の義直を尾張清須城に
転封させる。
西尾の寺津八幡社の本殿を再興する。
11月、九男の義直を従え尾張清須城を訪れる。尾張名古屋に築城を決定する(名古屋遷府令)。
6月3日、天下普請で尾張名古屋城の築城を開始する。清須から町ごと移転し、名古屋城下町を建設する(清須越)。
3月28日、山城二条城で豊臣秀頼と会見する。
名古屋城下町の建設がつづく。
春、名古屋と岡崎を結ぶ街道(岡崎街道/駿河町街道)を開設し、尾張平針に宿場を設置する。
7月26日、山城方広寺の鐘銘事件が起こる。豊臣家と関係悪化。
11月中旬、徳川軍が大坂城を攻囲する(大坂冬の陣)。
12月20日、豊臣家と講和する。
4月12日、尾張名古屋城にて義直と春姫の婚儀に臨席する。
5月5日、山城二条城から大阪方面へ出陣する。
5月7日、摂津大坂城を総攻撃する。
豊臣氏を滅ぼす(大坂夏の陣)。
1月21日、駿河・田中で鷹狩りに出、発病する。
4月17日、駿河駿府城にて死去。
家康の遺品が尾張、紀伊、水戸の御三家に分与される。
2月21日、朝廷より、「東照大権現」の神号が授与される。
4月17日、家康一周忌にあわせ、日光東照宮へ改葬される。