徳川家康の、生涯三大危機のひとつといわれる「三河一向一揆」。若き家康(当時は松平家康)と戦った本願寺派を率いた本宗寺(ほんしゅうじ)の跡地に鎮座する。本宗寺は、本願寺の一家衆(いっけしゅう/本願寺法主の親族)の寺院とした三河本願寺教団の本山だった。土呂御坊(とろごぼう)と呼ばれ本宗寺を中心に広大な寺内町を形成していた。一向一揆の争乱の中、家康軍の攻撃により本宗寺の伽藍とともに八幡宮、寺内町は焼失したという。一揆の平定後、家康は重臣・石川数正(いしかわかずまさ)に八幡宮を再興させ、さらに土呂城を築かせた。後年、三河で本願寺派の禁制が解かれたが、本宗寺は土呂で再興は許されず、現在地(岡崎市美合町)で再建された。
本宗寺跡地に石川数正が築いた土呂城の概要は不明。八幡宮境内に案内柱が立つのみ。本殿は江戸時代、元和5年(1619)に再建されたもので国の重要文化財に指定されている。
住所:岡崎市福岡町南御坊山19
アクセス:名鉄名古屋本線「東岡崎」駅下車、名鉄バス「福岡町」バス停下車、徒歩5分 JR東海道本線「岡崎」駅下車、名鉄バス「福岡町」バス停下車、徒歩5分
駐車場:あり