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隣松寺

上野城を攻める際、徳川家康が本陣を置いた寺

永禄6年(1563)、謀反を起こした重臣・酒井忠尚(さかいただなお)の上野城を攻める際に家康が本陣を置いた寺。家康は境内の稲荷明神(三河稲荷社)に戦勝を祈願して勝利を得た。戦勝後、家康はその霊験に感じ入り山号を「玉松山」から「稲荷山」に改めさせ、自身の甲冑姿の木像と念持仏を奉納した。稲荷明神は家康父の松平広忠が竹千代誕生の際、成長の無事を祈願したとも伝わる。後年、家康は江戸開府の折、三河稲荷社の末社を江戸吹上に建立した(明治26年に東京本郷に遷座)。

戦国勝の一押しPOINT

家康ゆかりの稲荷明神社の他、三河一向一揆の際、家康が背負って逃れたと伝わる上宮寺の雲版(うんばん)も見ることができる。また寺は鴛鴨(おしかも)松平家の菩提寺であったため、境内には鴛鴨(おしかも)松平家の墓、家康の四男・松平忠吉(まつだいらただよし)の墓、徳川四天王のひとり榊原康政(さかきばらやすまさ)の祖父・清長(きよまさ)、父・長政(ながまさ)の墓もある。
*木造徳川家康像は豊田市指定有形文化財(非公開)

住所:豊田市幸町隣松寺126
アクセス:愛知環状鉄道「三河上郷」駅下車、徒歩約17分
駐車場:あり

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