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康全寺

徳川家康から「康」の字を賜った寺

もとは西条城(西尾城の前身)の鎮守、御剣八幡宮(みつるぎはちまんぐう)を取り巻く6つの堂のうち2つを合わせて、西条吉良氏の祖・吉良満貞(きらみつさだ)の妻が吉良山満全寺(きらさん まんぜんじ)として復興した。天正7年(1579)8月4日、家康は武田家と内通した嫡男・信康を岡崎城から三河大浜に退去させ、翌日、その動向を見守るためこの寺に宿泊した。さらに天正9年(1581)、家康は郷村巡検(ごうそんじゅんけん)の際にも宿泊したという。その縁により家康から「康」の字を賜り康全寺と改めたと伝わる。

戦国勝の一押しPOINT

山門横の大日堂の天井に描かれた「龍図(水吹き龍)」は、江戸期の大火を防いだという伝説がある。また康全寺周辺の肴町(さかなまち)通り、順海町(じゅんかいまち)通りには、伝統的建築や路地が残り風情のある町並みが見られる。

住所:西尾市満全町36
アクセス:名鉄西尾線「西尾」駅下車、徒歩約9分
駐車場:あり

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