今川氏から独立し、三河平定を目指した徳川家康(当時は松平元康)が攻略した城。城主の鵜殿長照(うどのながてる)は、母が今川義元(いまがわよしもと)の妹だったことから「桶狭間の戦い」後も今川氏真(うじざね)に忠義を尽くし、家康と敵対した。永禄5年(1562)、家康が城攻めしたが守りが堅く、甲賀衆(こうがしゅう/甲賀忍者)を城内に潜入させ火をつけ、攻め落としたといわれる。その折、長照の二人の子を生け捕りにし、駿府で今川家の人質とされていた家康正室・瀬名(築山殿 つきやまどの)、嫡男・竹千代(後の松平信康 まつだいらのぶやす)、長女・亀との人質交換に成功した。城はその後、家康生母・於大が再嫁した久松長家(俊勝/ひさまつながいえ、としかつ)に与えられた。
*城内に潜入させたのは伊賀忍者という説もある。
城跡は一部みかん畑も広がるが虎口、土塁、空堀などの遺構が残る。主郭(しゅかく)からは三河湾が望める。また蒲郡市立西部公民館(城から南東に100m)では復元模型が展示されている(12/26まで)。
住所:蒲郡市神ノ郷町城山36ほか
アクセス:JR東海道本線「蒲郡」駅下車、徒歩約40分
駐車場:あり