永禄3年(1560)、「桶狭間の戦い」前日に徳川家康(当時は松平元康)が、生母・於大(おだい)を密かに訪ね、再会したと伝わる城(半田市の常楽寺の言い伝えでは家康が於大と再会したのは大高城脱出後だったとされる)。於大は松平広忠(まつだいらひろただ)から離縁させられた後に、坂部城主・久松長家(俊勝/ひさまつながいえ、としかつ)のもとに再嫁し、この城で15年暮らした。この間、家康に手紙や衣類を送り続けたという。
*家康が大高城から岡崎に向かったルートは諸説ある。
城跡は現在、城山公園として整備され、土塁や曲輪の遺構が一部残る。公園に隣接する阿久比町立図書館がに再現ジオラマが展示されている。於大が自ら栽培に励んだと伝わる綿畑が再現されている。また城跡から北北西に200mのところには久松家菩提寺の洞雲院がある。ここには於大の遺髪を納めた遺髪慕がある。
住所:阿久比町大字卯坂字栗之木谷32-1
アクセス:名鉄河和線「坂部」駅下車、徒歩約5分
駐車場:あり