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清須城(清洲城)

徳川家康もゆかりが深い、織田家の居城

織田信長が居城として有名だが、後年家康も度々訪れている。
かつては永禄4年(1561)に徳川家康が清須城を訪れ、織田信長と同盟を結んだことからこの同盟を「清須同盟」と呼称されていたが、この時期家康は清須に訪問した記録がないことから、今日では「織徳同盟」(しょうとくどうめい)、または「尾三同盟」(びさんどうめい)と改められている。
信長は後に領土拡大とともに居城を小牧山城、岐阜城、安土城と変えていくが、その後も清須城は織田家故地のシンボルであり、清須のまちは尾張国の首府であり続けた。信長死後、尾張は信長二男・信雄(のぶかつ)が領有し、「小牧・長久手の戦い」の際、信雄と同盟した家康も度々清須城に入城している。「関ヶ原の戦い」後は、家康四男・松平忠吉(まつだいらただよし)が入城したが、慶長12年(1607)に病没したことから、家康は九男・義直(よしなお/後の尾張藩初代)を新たな城主に任じた。慶長14年(1609)家康は五郎太を伴い、清須城を訪問。大坂の豊臣家との対決に備え「名古屋遷府令」を発し、名古屋に新規築城を決定した。翌年、名古屋城築城に伴う「清須越」によって城は破却され、寺社、住民、町名は丸ごと名古屋に移転した。

戦国勝の一押しPOINT

現在、五条川東岸に建つ「清洲城天主閣」は平成元年(1989)に再建された模擬天守。内部はジオラマシアター、甲冑武具の展示、体験シアターなど清須城やまちの歴史を伝える歴史資料館。五条川西岸にある「清洲古城公園」は、織田信雄が築いた清須城天守の跡地。1610年(慶長15年)の「清須越」の後、現在に至るまで清須城跡地として保存され、幕末の顕彰碑や信長を祠る小社がある。公園横には発掘された本丸石垣が復元展示されている。
*「清須」は「清洲」とも書かれたが、中世の史料では清須と記述されているため、このサイトでは清須城と表記する。

住所:清須市朝日城屋敷1-1
アクセス:名鉄名古屋本線「新清洲」駅下車、徒歩約15分またはJR東海道本線「清洲」駅下車、徒歩約15分
駐車場:あり

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