慶長19年(1614)、徳川家康が上洛の際に庄内川の渡し守役を務めた市兵衛と九左衛門に青物市場の開設を勧めた。名古屋周辺の平野部は青物の産地であり、川を挟んで名古屋と清須間は東海道の脇往還・美濃路として整備が進み、人や物資が集積していた。ふたりは家康の勧めに従い下小田井に市場を開設した。その後、元和8年(1622)には庄内川に枇杷島橋が架けられ、さらに美濃路から尾張北部と結ぶ岩倉街道も開かれ一層賑わった。下小田井の市は江戸時代を通じて名古屋城下の食生活を支え江戸の神田、大坂の天満と並ぶ日本三大市場に成長していった。明治に入り枇杷島市場と名を変え、昭和30年(1955)まで市場は存在した。問屋記念館は下小田井の市を創設した(山田)九左衛門家が明治初期に建てた住居を移築したもの。江戸時代の青物問屋の形態を残し、家康ゆかりの市場の歴史を唯一伝える遺構である。
*家康が市場開設を勧めたのは慶長16年(1611)という説もある。
建物は江戸時代の青物問屋の形態を残す町屋建物。内部には土間と帳場が再現されている。建物前は美濃路と呼ばれた旧街道。徳川家康が「関ヶ原の戦い」の後、凱旋したことから吉例街道ともよばれ東海道の脇往還として賑わった。現在も道沿いにはところどころに町屋建築や屋根神様が見られ旧街道の面影を残す。
住所:清須市西枇杷島町西六軒20
アクセス:名鉄名古屋本線「二ツ杁」駅下車、徒歩5分
駐車場:なし