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笠覆寺(笠寺観音)

幼少時代の徳川家康と織田信広が人質交換が行われた寺

織田氏の人質とされた幼少時代の徳川家康(当時は松平竹千代)と今川氏の人質となった織田信広(おだのぶひろ/信長兄)、両者の人質交換が行われた寺。現在、境内に人質交換を示す石碑・石像が建てられている。笠寺観音の名で親しまれる笠覆寺は、龍泉寺、荒子観音寺、甚目寺と並んで、徳川家康が名古屋城築城時に城の鬼門の方向にあたる観音を城の鎮護として定めた尾張四観音(おわりしかんのん)のひとつ。

戦国勝の一押しPOINT

笠覆寺は旧東海道に面して建ち、笠寺観音の名で親しまれている。本堂、仁王門、鐘楼、多宝塔は江戸時代に建立されたもの。近くには江戸時代に設置された笠寺一里塚(東塚)も現存する。なお、尾張四観音は、毎年の恵方にもっとも近い観音寺が「尾張の恵方の観音様」として、福をもとめる参拝者でにぎわう。

住所:名古屋市南区笠寺町上新町83
アクセス:名鉄名古屋本線「本笠寺」駅下車、徒歩約3分
駐車場:あり

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