徳川家康を輩出した安城松平家の居城。戦国時代は安城城と呼ばれていた。松平広忠(家康父)と尾張の織田信秀(おだのぶひで/信長父)、さらに織田と今川・松平連合軍による城の争奪戦が繰り広げられた(安城合戦)。天文18年(1549)の合戦では、今川・松平連合軍が城将織田信広(おだのぶひろ/信長兄)を生け捕りにし、織田家の人質になっていた竹千代と人質交換が行われた。地元の説では人質交換の場所は、安城城近くの西野(にしのの)であったとされる(通説では名古屋市の笠覆寺)。現在、本丸跡には大乗寺、二の丸跡には八幡社が建っているほか、周辺を安祥城址(あんしょうじょうし)公園として整備している。
「桶狭間の戦い」後に一旦廃城になったといわれるが、家康が羽柴(豊臣)秀吉と戦った「小牧・長久手の戦い」の際に一部改修されたとされる。切岸、櫓台、土塁、姫塚など遺構がわずかに残る他、安城市歴史博物館が建つ。
住所:安城市安城町赤塚2
アクセス:名鉄西尾線「南安城」駅下車、徒歩約15分
駐車場:あり