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勝鬘寺

本願寺派門徒の拠点となった「三河三ヶ寺」のひとつ

徳川家康の、生涯三大危機のひとつといわれる「三河一向一揆」。若き家康(当時は松平家康)と戦った本願寺派門徒の拠点となった「三河三ヶ寺」のひとつ。本證寺(ほんしょうじ)、上宮寺(じょうぐうじ)とともに三河三ヶ寺と呼ばれた。 家康家臣のうち、後に徳川十六将に数えられる蜂屋貞次(はちやさだつぐ)、渡辺守綱(わたなべもりつな)らは一揆側に立ち、数カ月にわたり激戦が繰り広げられた。当時の兵火により伽藍(がらん)は焼失したという。現在の本堂は江戸時代に再建されたもの。

戦国勝の一押しPOINT

「三河一向一揆戦陣跡」と記された石碑が本堂前に立つ。

住所:岡崎市針崎町朱印地3
アクセス:JR東海道線「岡崎」駅から徒歩12分
駐車場:あり

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