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岡城(岡村御殿)

関東移封後、岡崎の宿泊御殿となった城

永禄4年(1561)、今川家から自立したばかりの家康(当時は松平元康)が攻略に手こずった城。家康が家臣に命じ今川方の中島城を攻略したところ城主は岡城に逃亡。家康自ら軍を率い岡城に攻め寄せたが守りが堅く、攻略できなかった。しかし、やがて西三河は松平方が優勢となり城は降伏した。家康は、「小牧・長久手の戦い」終了後の天正13年(1585)にこの城を改修し御殿を築き、関東移封後には上洛する際の宿泊御殿とした。家康は御殿内に杉、檜、牡丹を自ら植えたという。慶長5年(1600)9月8日、美濃赤坂(「関ヶ原の戦い」前日の東軍陣地)に向けて西上する際も宿泊したともいわれる。

戦国勝の一押しPOINT

乙川沿いの河岸段丘上にある。城跡は竹藪と化しているが土塁や空堀が一部残る。

住所:岡崎市岡町西側7-77
アクセス:名鉄名古屋本線「美合」駅下車、名鉄バス美合線「西美合」バス停下車、徒歩約10分
駐車場:なし

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