天正3年(1575)、織田・徳川連合軍と武田軍が戦った「設楽原の決戦」の際、徳川家康が本陣を置いた社。三河は自領であったため家康は最前線の弾正山(別名、高松山)に鎮座する神社に布陣した。神社から東北250m先には家康が陣頭指揮をとった徳川家康物見塚もある。織田・徳川連合軍は山のすそ野に沿って二重、三重の馬防柵を築き、その背後に鉄砲隊を配置した。
神社から東に300m先の決戦跡地には馬防柵が復元されている。
住所:新城市竹広信玄原552
アクセス:JR飯田線「茶臼山」下車、徒歩15分
駐車場:なし(*新城市設楽原歴史資料館駐車場を利用)