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万松寺

織田家人質として幼少時代の徳川家康が過ごしたと伝わる寺

幼少時代の徳川家康(当時は松平竹千代)が、織田家の人質として過ごしたと伝わる寺。熱田の加藤図書助(かとうずしょのすけ)邸を経て万松寺に移されたという。もともとは織田家の菩提寺として、那古野城(現在の名古屋城二の丸付近)の近くに創建された。織田信長が、父の葬儀で位牌に抹香(まっこう)を投げつけた逸話はこの地にあった時のこと。慶長15年(1610)、徳川家康による名古屋城築城の際に、現在の大須に移転した。江戸時代は広大な寺域を誇ったが、大正時代に寺領を解放。その後戦災により焼失した。現在は、周辺の商店街にとけ込む形で鉄筋コンクリート造の本堂が再建されている。

戦国勝の一押しPOINT

織田信長が父信秀の葬儀で抹香を投げる場面と、「桶狭間の戦い」に出陣の際に「幸若舞」(こうわかまい)を舞う場面を演ずる、からくり人形が毎日上演されている(*行事等の都合により中止になる場合がある)。

住所:名古屋市中区大須3丁目29-12
アクセス:名古屋市営地下鉄・鶴舞線「上前津」駅下車、徒歩約3分
駐車場:あり

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