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岡崎街道・駿河町街道

徳川家康が名古屋・岡崎を最短で結ぶためにつくった街道

慶長17年(1612)、徳川家康が名古屋と岡崎を最短で結ぶためにつくったとされる街道。家康は平針(名古屋市天白区)に訪れた際、近くの村を移転させ平針宿を開設したという。その際、村人たちのため廃寺となっていた秀伝寺を再興した。そもそもこの道は対豊臣家との対決を控えた軍事目的の道だったため、大坂の陣にも利用された。名古屋の伝馬町(名古屋市中区)から平針、堤(豊田市)を経て、宇頭(岡崎市)で東海道に合流し岡崎宿に向かったため岡崎街道として尾張藩が管理した。名古屋側の出口のまちの名が駿河町だったことから、やがて駿河町街道の呼び名が定着していった。また地元では姫街道との名称も残る。
*平針から名古屋までの駿河町街道は、明治時代に飯田街道の一部とされ現在に至る。

戦国勝の一押しPOINT

周辺は開発が進み、宿場町の町並みや景観はない。家康が再興を命じた秀伝寺、宿場町が開設されたとき遷座した針名神社が街道沿いに残る。

住所:名古屋市天白区平針4丁目1003付近
アクセス:名古屋市営地下鉄鶴舞線「原」駅下車、徒歩約10分
駐車場:なし

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