天正3年(1575)、「長篠城の戦い」の際、徳川家康に味方した奥平信昌(おくだいらのぶなさ)が堅守した城。信昌の奥平家は、奥三河の国衆(くにしゅう)のひとつ。もとは武田家に従っていたが、武田信玄(しんげん)の死後、徳川家康の勧誘により徳川方に寝返った。家康は信昌に長女・亀姫を嫁がせることを約し、長篠城の城将を任せた。長篠城は寒狭川(かんさがわ)と大野川(宇連川)の合流地点に築かれ、東西南の三方が崖になっている要害の地に築かれていた。天正3年5月、奥平信昌以下城兵500人は、1万5千人の武田軍の猛攻を耐え抜いた。この時、城を抜け出し徳川家康に救援を求めた鳥居強右衛門(とりいすねえもん)の逸話は今も語り継がれている。
本丸北東部には土塁と堀が現存する。また本丸入口付近に建つ長篠城址史跡保存館は、長篠城の戦いに関する史料を展示する。中でも注目は当時使われたという「血染めの陣太鼓」。皮の部分に当時の血痕が付着しているのが確認できる。
住所:新城市長篠字市場22-1
アクセス:JR飯田線「長篠」駅下車、徒歩8分
駐車場:あり