menu
< 前のページに戻る

本證寺

本願寺派門徒の拠点となった「三河三ヶ寺」のひとつ

徳川家康の、生涯三大危機のひとつといわれる「三河一向一揆」。若き家康(当時は松平家康)と戦った本願寺派門徒の拠点となった「三河三ヶ寺」のひとつ。本證寺をはじめ本宗寺(ほんしゅうじ)、上宮寺(じょうぐうじ)、勝鬘寺(しょうまんじ)は、矢作川流域に独自の市場圏を掌握し、諸役免除(しょえきめんじょ)が適用された寺内町を形成していた。三河平定戦のため、家康家臣が米の徴収を行ったことから門徒が蜂起、家康と敵対した。家康との戦いに敗れた後、三河は真宗本願寺派は禁制となり寺や道場は破却された。その後、天正13年(1585)に禁制が解かれると本堂などの再建を果たした。本證寺は本堂や城の櫓を思わせる太鼓楼が江戸時代初期に再建された。また境内地には戦国期の空堀や土塁の遺構を残す城郭伽藍(じょうかくがらん)として全国的にも珍しい。

戦国勝の一押しPOINT

かつて境内は二重の堀と土塁に囲まれていた。現在も土塁の一部が庫裏(くり)の北側に残存する。また二重の堀のうち内堀はすべて現存(外堀は大部分が地中に埋もれている)し、城郭伽藍、城郭寺院とも呼ばれた面影を見ることができる。毎年7月上旬頃には内堀に蓮の花が咲き、見ごろになる。

住所:安城市野寺町野寺26
アクセス:名鉄西尾線「桜井」駅からコミュニティバスで13分、または「南桜井」駅からコミュニティバスで3分
駐車場:あり

近隣の史跡

マップから聖地を探す
エリア別・時代別 史跡一覧

徳川家康 新着記事 >

どこにいた家康 記事特集 >

家康公の生涯をたどる
徳川家康聖地巡礼TOP > 時代別史跡一覧 > 本證寺