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正住院

伊賀超えした徳川家康が、知多常滑湊から上陸した際休息したと伝わる寺

天正10年(1582)「本能寺の変」により、伊賀越えした徳川家康が伊勢白子湊(鈴鹿市)から三河大浜湊(碧南市)に到着したルートやゆかりの地が各地に残るがそのひとつ。家康が海路、知多常滑湊に入り休息したとされる寺。正住院は常滑湊に面し、家康と従兄弟の典空上人(てんくうしょうにん)が住職を務めていた常楽寺(半田市)の末寺であった。また寺の背後の丘陵には常滑水野氏の常滑城があり、城主水野守次(守隆/みずのもりつぐ、もりたか)の正室が家康生母・於大の妹・於万(おまん)であったとされる。守次は「本能寺の変」の際、明智光秀方に味方したため家康は水野家の出方をうかがった後、常楽寺に向かったとされる。
*家康の伊賀越えの後、伊勢白子湊から三河大浜湊に入ったルートは、「白子湊から海路で直接大浜湊に入った」、「白子湊から常滑湊、陸路で常楽寺(半田市)を経て、大浜湊に入った」、「白子湊から大野湊(常滑市)に入り、さらに海路で常滑湊、陸路で常楽寺(半田市)を経て、大浜湊に入った」など複数説ある。

戦国勝の一押しPOINT

県道252号線が通るがかつて寺の裏手側は海岸が迫っていた。波を防いだと思われる石積みが残る。駐車場側から寺の入ると家康が上陸後に腰かけたといわれる「徳川家康公腰掛けの石」がある。

住所:常滑市保示町1-57
アクセス:名鉄常滑線「常滑」駅下車、徒歩約17分
駐車場:あり

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