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深溝城

代々徳川家康を支えた「深溝松平家」の居城だった城

深溝(ふこうず)城は、室町時代前半頃に深溝地域を支配していた大庭(おおば)氏によって築かれたとされている城。大永3年(1523)、松平長親(ながちか:徳川家康の高祖父)の命で松平元心(もとむね)と弟・忠定(たださだ)が大庭氏を滅ぼすと、その功により忠定が深溝城主となる。その後「深溝松平家」と呼ばれる忠定の子孫の中に『家忠日記』を書いた松平家忠がおり、『家忠日記』には、家康が西尾へ鷹狩りに行った際などに深溝を訪れていることなどが書かれている。

戦国勝の一押しPOINT

深溝城があった場所は現在工場の敷地となっており、その南西部に城跡碑と案内板がある。南東にある本光寺には深溝松平家の墓があり、併せて訪れるのがおすすめ。深溝城自体の遺構はあまりないが、「向野」「海谷」「時近」など『家忠日記』に出てくる地名もあるため、『家忠日記』を読んでからこの地を訪れるとより楽しめるだろう。

住所:愛知県額田郡幸田町深溝丸ノ内
アクセス:JR東海道本線「三ヶ根」駅下車、徒歩約10分
駐車場:なし

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