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大須観音

徳川家康の命により、名古屋城下に移転された寺

慶長17年(1612)に徳川家康の命により、名古屋城下に移転された寺。正しくは北野山真福寺宝生院(きたのさん しんぷくじ ほうしょういん)だが、大須観音の名で親しまれている。もとは尾張国中島郡長岡庄大須郷(現・岐阜県羽島市桑原町大須)にあった真福寺は、慶長10年(1605)の大洪水で堂塔が流失。『古事記』の写本をはじめとする寺宝「大須文庫」は三経蔵とも称され、その重要性に気づいていた家康が水難から守るため、真福寺とともに名古屋城下へ移転させたという。明治25年(1892)の大火で五重塔、本堂、仁王門を焼失。その後本堂と仁王門は再建されたが太平洋戦争の戦災で再び焼失し、昭和45年(1970)に再建。大須文庫には、国宝の古事記写本をはじめ和漢の古文書約15,000点を所蔵している。
*名古屋城下への移転は元和元年(1615)説もある。

戦国勝の一押しPOINT

日本三大観音のひとつ。初詣、節分をはじめ毎月18日、28日の縁日には骨董市が開かれにぎわう。現在では大須商店街のシンボルとしても知られている。

住所:名古屋市中区大須2-21-47
アクセス:名古屋市営地下鉄・鶴舞線「大須観音」駅下車、徒歩約3分
駐車場:なし

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