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野間大坊

徳川家康が訪れ命名したといわれる寺

正式には鶴林山大御堂寺(かくりんざんおおみどうじ)と称し、野間大坊(のまだいぼう)は通称。天武天皇の時代(673~686)に『阿弥陀寺』として建立、承歴年間(1077~1081)に白河天皇の皇室繁栄を祈願する寺として、『大御堂寺』と称されたと伝わる。源頼朝の父・源義朝が終焉を迎えた地であることから頼朝が墓を築き、以後豊臣秀吉・徳川家康からの庇護(ひご)も受けた。慶長16年(1611)に家康がこの地を訪れ「野間の大坊」と命名、鷹狩りの免状も与えられたといわれている。

戦国勝の一押しPOINT

境内には、宝暦4年(1754)に再建された本堂、伏見桃山城から移築したといわれる「客殿(きゃくでん)」、頼朝が寄進した「大門(だいもん)」などの建築物が残る。秀吉に敗れここで自害に追い込まれた信長の三男・織田信孝(おだのぶたか)の墓もあるなど、家康にとどまらず様々な歴史にふれられる地といえる。

住所:愛知県知多郡美浜町野間東畠50
アクセス:名古屋鉄道知多新線「野間」駅下車、徒歩約15分
駐車場:あり

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