大高城から脱した若き徳川家康(当時は松平元康)が目的地とした寺。安城松平家の菩提寺(後年、徳川家の菩提寺)。前途に失望した家康は、大樹寺の先祖の墓前で自害を考えたという。しかし、その場に現れた住職・登誉上人(とうよしょうにん)は「厭離穢土、欣求浄土」(おんりえど ごんぐじょうど)の教えを説き、自害を思いとどまらせたという。以来、家康はこの言葉を座右の銘として、自軍の旗印に掲げ戦場を駆けめぐった。
家康が逃げ込んだ時、大樹寺は一時敵方に包囲されたが、怪力で知られた祖洞和尚(そどうおしょう)が門の貫木(かんぬき)を振り回し、敵を追い払ったと伝えられる。家康はこの貫木を「開運の貫木」と称し、現在も寺内に安置されている。家康が将軍になると、大樹寺は後陽成天皇(ごようぜいてんのう)から勅願寺(ちょくがんじ)の地位を与えられ、江戸幕府の庇護を受け松平家・徳川将軍家の菩提寺となった。
*厭離穢土、欣求浄土:「今は戦国乱世、この穢れた世をなくし、極楽浄土の世を求める」という意味。
徳川家康をはじめ歴代将軍の等身大の位牌や家康木像を安置する他、境内には松平家八代廟所、家康祖父・松平清康(まつだいらきよやす)が建立した多宝塔が建立されている。さらに三代将軍徳川家光(とくがわいえみつ)は家康十七回忌を機に、大造営を行い、「祖父の生誕の地を望めるように」との思いから本堂、三門、総門、岡崎城天守が一直線に並ぶように伽藍(がらん)を配置した。現在も三門を額縁として岡崎城天守を遠望することができる歴史的景観は、ビスタラインと呼ばれ市民に守られている。
住所:岡崎市鴨田町広元5-1
アクセス:名鉄名古屋本線「東岡崎」駅より名鉄バス「大樹寺」下車、徒歩約7分 または愛知環状鉄道「大門」駅下車、徒歩約17分
駐車場:あり