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日近城

若き徳川家康のもうひとつの初陣、日近城攻め

徳川家康の初陣は、弘治4年(1558)2月の寺部城攻め(当時は松平元康)というのが通説だが、実は元服した翌年、弘治2年(1556)2月に起きた日近合戦(日近城攻め)だった可能性がある。当時三河は今川方、織田方についた国衆たちが争う内乱状態であった。そんな中、奥三河亀山城の奥平氏が大給松平氏とともに今川から織田方へ寝返った。これを討つため東条松平氏が日近城を攻めたのが日近合戦である。この合戦の最中、家臣の天野源太郎屋敷に泊まった家康(弘治2年当時は元信)が奥平軍の夜襲を受けたが一命を取り留めたという(襲撃は前年という説もあり)。後年、江戸幕府がまとめた古記に日近合戦を家康初陣とする記述があるという。

戦国勝の一押しPOINT

標高270m比高70mの尾根の先端に築かれた山城。奥平氏が日近郷に進出し築城。当初は本曲輪、二の曲輪、三の曲輪を直線に配した単純な構造の城だったようだ。その後、本曲輪を半周する腰曲輪や南の尾根を遮断する堀切、土塁、横堀の遺構が残る。天正年間、徳川氏による改修を受けているため小規模ながら技巧的な山城。

住所:岡崎市桜形町般興
アクセス:名鉄名古屋本線「東岡崎」駅下車、名鉄バス桜形行「桜形下」バス停下車、徒歩約7分
駐車場:あり

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