徳川家康がその父松平広忠(まつだいらひろただ)の菩提を弔うため建立した寺。天文18年(1549)3月、広忠は岡崎城中で家臣に刺殺され、能見ヶ原の月光庵に埋葬された。同年11月、家康は今川方の人質として尾張から駿府へおもむく際、月光庵に墓参。その墓上に小松を植え、松平一族の繁栄を祈願した。「桶狭間の戦い」後、家康(当時は松平元康)は父の菩提のため、月光庵の地に寺を建立した。岡崎城に復帰した家康は手植えの松が緑深く伸長したことと、人質の身であった自分が城主として再び三河の地に帰れたことを喜び「我が祈念に応ずる松なり」として寺号を松應寺と名付けたとされる。本堂北側に松平広忠公廟所がある。
松平広忠公廟所は、他の戦国武将と異なり墓石の代わりに松が植えられているのが特徴。また廟所を囲む土塀には5本の白線があり、これは格式ある寺院にしか許可されなかったもの。長年の風雨等により崩れかけていたが、3年の月日をかけ令和4年(2022)5月に昔日の姿に修復されている。また参道は「松應寺横丁」と名付けられ、木造のアーケードの下に昭和レトロな店舗が軒を並べる(※松應寺横丁には一般の民家も含まれているため、参拝や撮影の際はプライバシーに配慮)。
住所:岡崎市松本町44
アクセス:名鉄名古屋本線「東岡崎」駅より名鉄バス康生町経由大樹寺行他「能見町」下車、徒歩約3分
駐車場:あり