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二連木城

徳川家康と武田氏による戦いの舞台となった城

二連木(にれんぎ)城は、明応2年(1493)に戸田宗光が築城したといわれており、戸田氏と牧野氏による争奪戦後、今川氏の支配を経て、その後徳川家康のもとで吉田城の支城としての役割を担う。吉田城とともに岡崎城と浜松城の中間あたりという重要な位置にあり、元亀2年(1571)と天正3年(1575)の二回にわたって武田氏からの攻撃にさらされた。酒井忠次が二連木城で武田軍を食い止め、徳川家康が吉田城へ入城する時間を稼いだという逸話もある。

戦国勝の一押しPOINT

現在、本丸は大口公園となっており、公園のまわり、特に公園の北側には良好な土塁が残っている。豊橋市仁連木老人福祉センターがある二の丸と本丸の間にある空堀の跡や、付近にある稲荷神社にも土塁の一部が残っているなど、住宅街の中にあるとは思えないほど遺構が楽しめる城。

住所:愛知県豊橋市仁連木町(大口公園)
アクセス:豊橋鉄道東田本線「東田」駅下車、徒歩約10分
駐車場:なし

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