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西明寺

家康の命により、西方浄土にちなみ寺名を改めた寺

永禄5年(1562)、徳川家康(当時は松平元康)は重臣・酒井忠次に今川方の八幡砦を攻撃させたが撃退され、退却を余儀なくされた。その際、寺側が松平方に粥をふるまい協力した。酒井勢は新たな手勢を加え、反撃に転じて砦を陥落させた。勝利の後、家康が寺を訪れ本尊の阿弥陀如来に武運を祈願した。後年、家康は20石の朱印地を与え、阿弥陀如来の西方浄土にちなみ寺名を最明寺から西明寺に改名させたという。

戦国勝の一押しPOINT

本堂脇の書院裏には裏山(大宝山)を借景した池泉回遊式庭園がある。昭和53年(1978)に作庭され、四季折々の自然美が楽しめる。また境内には近代日本の医学の発展に寄与した明治のドイツ人医師エルヴィン・フォン・ベルツ博士の供養塔の他、西側の墓地には武田信玄の軍師・山本勘助の墓もある。

住所:豊川市八幡町寺前7
アクセス:名鉄名古屋本線「国府」駅下車、徒歩約15分
駐車場:あり

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