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糟塚砦

徳川家康が今川氏との戦いを見据え築いた砦

永禄6年(1563)、徳川家康(当時は松平元康)が東三河の牛久保城・吉田城攻略を狙い築いた砦。永禄7年(1564)の吉田城攻めの際には、家康がこの糟塚(かすつか)砦に布陣したといわれている。東三河の攻略を終え暫くたった後、天正14年(1586)には糟塚砦の跡地に川出宮内大輔良政(かわでくないたいふよしまさ)が龍徳院を開基。その境内全体が糟塚砦の跡であり、本堂の裏手には現在も土塁と空堀が残っている。

戦国勝の一押しPOINT

見どころである本堂裏手の土塁と空堀は、往時の完全な姿ではないと思われるものの東西方向に約50mという規模で残る。牛久保城の西方向約2km、吉田城の北西方向約5kmという位置関係から、ここはまさに東三河における対今川氏最前線だったと言える地。家康になった気分で糟塚砦から南方向へ出陣し、吉田城方面に進むのがおすすめ。

住所:愛知県豊川市小坂井町樫王48(龍徳院)
アクセス:JR飯田線「小坂井」駅下車、徒歩約6分
駐車場:あり

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