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牛久保城

徳川家康が攻め、今川氏からの独立を明らかにした城

東三河における今川氏の拠点のひとつだった城で、享禄2年(1529)に牧野城主であった牧野成勝が築城したといわれる。「桶狭間の戦い」後、織田信長との和睦も視野に入れていた徳川家康(当時は松平元康)が、永禄4年(1561)4月11日に牛久保城に夜襲攻撃を仕掛けるも失敗。後に、今川氏真が出した書状に「四月十二日岡崎(徳川家康のこと)逆心」とあることから、この牛久保城攻撃を機に家康が今川氏から独立したといわれている。

戦国勝の一押しPOINT

現在遺構は残っておらず石碑が建っているのみであるが、周辺には「城跡」「大手」などの地名が残り、ぶらりと歩きまわれば往時の姿に思いを馳せることができる。近くには牧野氏ゆかりの「一色城」があった大聖寺があり、こちらには「今川義元公墓所」もあるため、あわせて訪れるのがおすすめ。

住所:愛知県豊川市牛久保町城跡
アクセス:JR飯田線「牛久保」駅下車、徒歩約2分
駐車場:なし

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