天正12年(1584)、徳川家康と羽柴(豊臣)秀吉が戦った「小牧・長久手の戦い」。このうち家康が勝利した「長久手の戦い」で羽柴軍を追撃する家康が前夜に入城。さらに戦いに勝利した後に帰城した。城は尾張丘陵地(守山台地)北縁に立地し、西南に守山城、北東に龍泉寺、前面に小牧方面が一望できる。
天文4年(1535)、家康祖父・松平清康が尾張侵攻した際に在城したが、清康は近隣の守山城攻めの途中に家臣に暗殺された(守山崩れ)。事件の後、城は織田信光(信長叔父)の居城となったが、信光も不慮の死を遂げ一時廃城となっていた。小牧山城に本陣を定めた家康は、三河方面との中継点のための繋ぎ(つなぎ)の城として修築、整備した。長久手での勝利後、家康が入城。敗報を受け駆けつけた秀吉軍は北東2.5km先の龍泉寺城に入城し、対峙した。これを受け家康は密かに城を抜け出し、小牧山城に帰城した。
城跡には明瞭な遺構はなく、案内の標柱が立つのみ。周囲は小学校、介護サービス施設、住宅地に変貌しているが、崖地や高低差を活かした地形が城跡をしのばせ、堀跡と思わせる道路が残る。かつての三の丸跡には城址山という山号の阿弥陀寺がある。また往時と同じく台地頂部(介護サービス施設建物横)から北方側に眺望が開けている。
*2023年11月25日から守山図書館で小幡城の復元模型が常設展示される。
住所:名古屋市守山区西城2
アクセス:JR中央本線「守山」駅から徒歩20分または名鉄瀬戸線「小幡」駅から徒歩20分
駐車場:なし