もとは清須城下の朝日郷に創建され、この地は伊勢神宮の神領地(御園)だったことから天照大神(アマテラスオオミカミ)を祀っていた。また朝日郷の生まれともいわれる豊臣秀吉の母・大政所、さらにその妹(朝日姫/旭姫)の氏神だった。慶長16年(1611)、名古屋城下町づくりにともなう「清須越」で現在地に移築遷座。移築は家康の懇請であり、碁盤割の町人地の守護神とされた。江戸時代初めの城下町の大火により、町人地が焼失。これを教訓にして道幅を拡幅してできたのが広小路であった。やがて広小路は芝居や見世物の興行や店が立ち並び、名古屋城下の繁華街として賑わい、道に面した社は広小路神明社として親しまれた(明治9年(1876)に現在の社名となった)。
昭和20年(1945)の空襲により社殿は焼失したが、文化6年(1809)に建てられ、天保12年(1841)に現在の姿に直した透垣(すいがい)が、戦火を免れ今日に伝わっている。透垣は、尾張地方に多い神前目隠し塀のこと。道の向かい側にあった尾張藩牢屋からの目隠しのためと伝わる。国登録有形文化財に登録されている。
住所:名古屋市中区錦三丁目22-21
アクセス:名古屋市営地下鉄東山線、名城線「栄」駅下車、徒歩約3分
駐車場:https://maps.app.goo.gl/ExnAfZqQSrJAMV2a6