今川氏から独立し、三河平定を目指した徳川家康(当時は松平元康)が攻略した西尾城。家康は西三河攻略の手始めに東条吉良氏一族の荒川義弘(あらかわよしひろ)を寝返らせ、異父妹の市場姫を嫁がせた。さらに城を守る牧野成定(まきのなりさだ)の本拠地・牛久保城(豊川市)を攻めた。これを機に家康重臣・酒井政家(正親/さかいまさいえ、まさちか)が城を攻略し、その功績として家康から城を与えられた。天正13年(1585)、豊臣秀吉の攻撃に備え、家康は城の大改修を命じ、その検分のため訪れている。その際、「鶴城」と命名したという。城はその後も豊臣大名田中吉政(たなかよしまさ)や江戸時代の改修を受け、近世城郭として整備された。明治5年(1872)、廃城令で建築物等は破却されたが、現在、本丸、二の丸の一部が復元され西尾市歴史公園として整備されている。
西尾城周辺には幾筋も河川が流れ、下流の湿地帯には野鳥が多く生息していた。そのため鷹狩を好んだ家康がたびたびこの地を訪れた。
平成8年(1996)、本丸丑寅(うしとら)櫓、二の丸鍮石(ちゅうじゃく)門が木造で復元され、平成26年(2014)には天守台石垣が築き直された。さらに令和2年(2020)、二の丸丑寅櫓と土塀(どべい)が、木造で復元され整備が進む。なお、この土塀は2ヵ所の屏風(びょうぶ)折れがある全国的に珍しいもの。また幕末京都に建てられた旧近衛邸の屋敷が移築されている。近衛邸前庭の枯山水は、かつての堀の跡(馬出しの堀)を再現している。なお、本丸に鎮座する御剣八幡宮(みつるぎはちまんぐう)社殿は江戸時代前期に造営されたもの。明治期に城郭は破却されたが、唯一残る江戸期の遺構である。
住所:西尾市錦城町231-1
アクセス:名鉄西尾線「西尾」駅下車、徒歩約15分
駐車場:あり