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田原城

東三河統一に向け、徳川家康が攻略した城

文明12年(1480)頃、戸田宗光が築城し、三河湾支配の拠点とした城。まわりを海に囲まれ湾の形が巴形になっていたところから、「巴江(はこう)城」とも呼ばれる。天文16年(1547)、宗光のひ孫・戸田康光のとき、人質として今川氏のもとに送るはずだった幼少時代の徳川家康(当時は松平竹千代)を、今川氏の敵であった織田信秀に送ってしまったため今川義元の怒りを買い、今川方の攻撃で田原城は落城(岡崎城を攻められたため、初めから織田方へ人質として送られたという説もあり)。永禄8年(1565)、今川氏の城代が守っていた田原城を家康が攻略、松平氏譜代の本多広孝が城主となった。

戦国勝の一押しPOINT

正面入り口にあたる大手の「桜門」や「二の丸櫓」などの建築物が再建されており、「枡池・袖池(ますいけ・そでいけ)」と呼ばれる水堀のまわりには良好な石垣が残っている。現在「巴江神社」が鎮座する本丸と、二の丸(跡地に「田原市博物館」)・三の丸(跡地に「護国神社」)間にある広大な空堀も必見。

住所:愛知県田原市田原町巴江10-13
アクセス:豊橋鉄道渥美線「三河田原」駅下車、徒歩約15分
駐車場:あり

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