天正12年(1584)、徳川家康と羽柴(豊臣)秀吉が戦った「小牧・長久手の戦い」で、家康が本陣を置いた陣城(じんじろ)。もとは永禄6年(1563)に犬山城攻め、美濃攻めのために織田信長が築いた城だった。一時廃城となっていたが、天正12年(1584)3月、尾張に攻め込んできた秀吉軍に対し、家康が家臣の榊原康政(さかきばらやすまさ)に命じ、山腹と山麓に長大な横堀や土塁を築く大改修を施した。さらに家康は、小牧山城を主陣地として東側に複数の砦を連ねて、軍道で結び防塁とした。対する秀吉軍も城塞群を包囲するように砦群を築き対抗したが、両軍ともにらみ合いが続いた。その後、家康は「長久手の戦い」で局地的な勝利を収めたが、やがて秀吉軍が優勢になり、同盟者の織田信雄(おだのぶかつ)が先に屈し、ほどなく家康も秀吉と和睦した。これにより小牧山城は再び廃城となったが、江戸時代さらに明治時代以降も尾張徳川家の手厚い保護を受けたため、当時の遺構がよく残っている。
城跡は小牧山全体に及び史跡に指定されている。近年、信長が築いた山頂部の発掘調査により信長時代の城や城下町の様子が解明されている。また家康が改修した長大な横堀、土塁、虎口も整備されその土木力を垣間見ることができる。山麓のれきしるこまき(小牧山城史跡情報館)や山頂の小牧山歴史館(2023年4月リニューアルオープン)を合わせて見学すると理解が深まる。
住所:小牧市堀の内1-1、2
アクセス:名鉄小牧線「小牧」駅下車、徒歩約20分または「小牧」駅から名鉄バス、こまき巡回バス乗車「小牧市役所前」下車、徒歩約5分
駐車場:あり