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  • 家康17歳
    初陣を飾る!
    第1回
  • 家康18歳
    父になる!
    第1回
  • 家康19歳
    桶狭間に出陣する!
    第1回
  • 家康19歳
    大高城から退却する!
    第1回
  • 家康19歳
    岡崎城に帰城する!
    第2回
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    信長と同盟する!
    第4回
  • 家康20歳
    西三河を攻めとる!
  • 家康21歳
    妻子を取り戻す!
    第6回
  • 家康22歳
    名前を改める!
    第7回
  • 家康23歳
    一向一揆に手こずる!
    第9回
  • 家康24歳
    今川勢を追い出す!
  • 家康25歳
    三河一国を統一する!1
  • 家康25歳
    三河一国を統一する!2
  • 家康25歳
    三河守に任官する!
    第11回
弘治4年/永禄元年(1558)

家康17歳 初陣を飾る!

2月5日、今川義元の命で
三河寺部城を攻めで初陣を飾る。
7月以降
実名を「元康」と改める。

  • 寺部城
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永禄2年(1559)

家康18歳 父になる!

3月6日、長男・竹千代(後の
松平信康)が駿府で誕生する。

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永禄3年(1560)

家康19歳 桶狭間に出陣する!

5月12日、今川義元の尾張攻めに
従い駿府を出陣する。

5月18日、尾張大高城に
兵糧入れを果たす。
織田軍の丸根砦を攻め落とす。

  • 大高城
  • 丸根砦
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永禄3年(1560)

家康19歳 大高城から退却する!

5月19日、尾張桶狭間で今川義元が
織田信長軍に討たれる(桶狭間の戦い)。
義元戦死を受け、大高城から退却。
岡崎へ向かう。

  • 坂部城
  • 常福院
  • 常楽寺
  • 長瀬八幡宮
  • 徳川家康渡船之所碑
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永禄3年(1560)

家康19歳 岡崎城に帰城する!

5月20日、三河大樹寺に入る。
5月23日、10年ぶりに
三河岡崎城に帰城する。
6月以降、父の菩提を弔うため寺を
建立する。

  • 大樹寺
  • 松應寺
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永禄4年(1561)

家康20歳 信長と同盟する!

2月、伯父の水野信元の仲介で織田信長と同盟を結ぶ。

  • 清須城
  • 大高町八幡社
  • 清牛久保城
  • 岩略寺城
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永禄4年(1561)

家康20歳 西三河を攻めとる!

9月、三河藤波畷の戦いで東条城主・吉良義昭軍に勝利する。

  • 西尾城
  • 瀬門神社
  • 小牧陣屋
  • 東条城
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永禄5年(1562)

家康21歳 妻子を取り戻す!

2月、三河上ノ郷城を攻め、城主鵜殿氏の子息を人質にする。
春、今川家と人質交換を行い正室の瀬名姫(築山殿)、嫡男竹千代を取り戻す。
祖父清康、叔母の菩提のため随念寺を建立する。

  • 上ノ郷城
  • 西明寺
  • 随念寺
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永禄6年(1563)

家康22歳 名前を改める!

7月、実名を元康から「家康」に改める。
12月、三河一向一揆が蜂起する。

  • 本證寺
  • 勝鬘寺
  • 土呂八幡宮
  • 山中八幡宮
  • 深溝城
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永禄7年(1564)

家康23歳 一向一揆に手こずる!

2月、三河一向一揆と和睦する。
6月、今川軍に包囲された三河一宮砦を救援する。

  • 妙源寺
  • 浄珠院
  • 隣松寺
  • 一宮砦
  • 伊奈城
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永禄8年(1565)

家康24歳 今川勢を追い出す!

3月、三河吉田城、田原城を攻略し、東三河支配を進める。

  • 糟塚砦
  • 吉田城
  • 二連木城
  • 長仙寺
  • 田原城
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永禄9年(1566)

家康25歳 三河一国を統一する!1

2月12日、開運祈願のため菅生神社の社殿を再建する。

  • 菅生神社
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永禄9年(1566)

家康25歳 三河一国を統一する!2

春、開運祈願のため上野国・新田より新田神社を岡崎城内に勧請する。
5月、三河牛久保城の牧野氏が帰順し、三河国を統一する。

  • 新田白山神社
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永禄9年(1566)

家康25歳 三河守に任官する!

12月29日、従五位下三河守に叙任される。
叙任を祝い伊賀八幡宮の社殿を造営する。

  • 伊賀八幡宮
  • 福泉寺
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松平元康・松平家康時代
と愛知の関係
(1558~1566)

松平元信(家康)は、17歳で初陣を果たし名を「元康(もとやす)」に改めた。永禄3年(1560)、元康は義元率いる今川軍の武将として尾張大高城(愛知県名古屋市)に兵糧(ひょうろう)を運び入れたが、「桶狭間の戦い」で義元が戦死。戦地を脱し、岡崎城(愛知県岡崎市)に戻った元康は、しばらく今川方に留まったもののやがて織田信長と同盟を結んだ。これを機に今川氏と決別し、「元」の字を捨て「家康」と名乗り、三河国(みかわのくに/愛知県東部)の平定に乗り出した。三河一向一揆との戦いや今川氏との戦いの末、三河平定を成し遂げた家康は、これらの戦いを通じ、家臣団を結束させ三河各地の国衆(くにしゅう)を従えた。さらに家康は、その立場を正当化するため名字を「徳川」に改姓。朝廷に叙位・任官(じょい・にんかん)を求めた。翌年1月に従五位下(じゅごいのげ)三河守の叙位・任官が認められ、ここに戦国大名徳川家康が誕生した。さらに同年5月には嫡男・信康(のぶやす)と信長娘・五徳(ごとく)が婚約し、信長との同盟の絆を深めた。

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松平元康・松平家康時代

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